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昭和18年ごろ 長洲国民学校にできた相撲場開きに訪れた双葉山(中央)一行。「双葉山は大きくてピカピカしていました」(写真提供の前田さん)=玉名郡長洲町 ※玉名郡長洲町の前田哲之助さん提供
撮影:1943年1月
昭和18年ごろ 長洲国民学校土俵開きの双葉山一行=玉名郡長洲町
昭和17年 薙刀のポーズをとるのは彌富小5、6年と高等科1、2年の女子。開戦の翌年で戦時色一辺倒=玉名郡の彌富小学校 ※熊本市画図町の杉本久枝さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年 薙刀の練習をする女生徒=玉名郡の彌富小学校
内牧国民学校そばの忠魂碑と子どもたち。国民学校は昭和16年の国民学校令で作られた、戦前・戦中の教育制。昭和22年まで続いた=阿蘇郡阿蘇町内牧 ※松永洋子さん提供
撮影:1941年1月
内牧国民学校そばの忠魂碑と子どもたち=阿蘇郡阿蘇町内牧
昭和15年、上村尋常小学校入学記念 上八幡宮裏で同小の新入生。当時は3クラスで、写真は男女組=天草郡上村 ※上天草市大矢野町の植田節義さん提供
撮影:1940年4月
昭和15年、上村尋常小学校入学記念 上八幡宮裏で=天草郡上村
昭和14年ごろ、松橋町(現宇城市)の商店街に町民がずらりと並んで朝のラジオ体操。松橋尋常高等小学校から写真提供の山中さんの父(佐世保海軍基地)に届いたはがきに印刷されていた。同校卒の兵士たちに送られたようだ=下益城郡松橋町 ※宇城市松橋町の山中隆義さん提供
撮影:1939年8月
昭和14年ごろ 夏休みのラジオ体操=下益城郡松橋町
昭和14年春 御岳尋常小学校の校旗寄贈式。日中戦争勃発から2年、小学生の士気を鼓舞しようと、校旗のなかった同校へ同窓会が寄贈した=上益城郡御岳村(現山都町) ※熊本市湖東の本田寿雄さん提供
撮影:1939年4月
昭和14年春 御岳尋常高等小学校の校旗寄贈式=上益城郡御岳村
昭和14年 卒園記念。写真提供の浦上さんの熊本幼稚園卒園アルバム「おなかまの思ひ出」から。1,2年保育で4クラス、女の先生4人と園長は慶徳小学校の先生が兼務した=熊本市 ※熊本市の浦上安記さん提供
撮影:1939年3月
昭和14年 卒園記念。熊本幼稚園の卒園アルバムから=熊本市
昭和12年12月13日 日中戦争で日本軍が南京攻略に成功。これを記念して昼は市民が日の丸行列、夜は学生らが提灯行列を行った。写真は尚絅校生徒の提灯行列=熊本市の安巳橋通り ※熊本市湖東の三浦知恵子さん提供
撮影:1937年12月
昭和12年12月 南京陥落 尚絅校生徒の提灯行列=熊本市の安巳橋通り
昭和11年3月 旧花簇尋常小学校の3年生45人と先生。当時は全校生徒300人以上だった。男子は丸坊主に学生服、女子はおかっぱ頭に着物姿も=玉名郡菊水町 ※玉名郡和水町の村上成章さん提供
撮影:1936年3月
昭和11年3月 旧花簇尋常小学校の児童=玉名郡菊水町 ※玉名郡和水町の村
昭和11年ごろ 軍国調の服装をした子ども。写真提供の高野さんの弟・好典さん(当時6歳ごろ)=熊本市大江 ※熊本市水前寺の高野陽子さん提供
撮影:1936年1月
昭和11年ごろ 軍国調の服装をした子ども=熊本市大江
昭和5年 坪井に移転する前の熊本市立高等女学校の校舎(現必由館高校。5年の卒業写真集から)。現在の日本郵政グループが入るビル付近にあった。手前は熊本市電の線路。同校は昭和6年に現在地へ移転した=熊本市城東町 ※熊本市健軍の長崎信二さん提供
撮影:1930年1月
昭和5年 坪井に移転する前の熊本市立高等女学校の校舎=熊本市城東町
昭和初期の幼稚園の風景 オルガンに合わせて歌の練習をする、尾道市の三軒家幼稚園の園児たち。当時は幼稚園に通う子は少なかった=広島県尾道市 ※合志市豊岡の朝吹孝文さん提供
撮影:1928年1月
昭和3年ごろ 尾道市の三軒家幼稚園の園児たち。オルガンに合わせて歌の練習
昭和28年ごろ 進駐軍の子どもたちと、水前寺公園のシーソーで。進駐軍は昭和20年10月から31年10月まで熊本市に駐留した=熊本市出水町 ※宇土市本町の五島久義さん提供
撮影:1953年1月
昭和28年ごろ 進駐軍の子どもたちと、水前寺公園で=熊本市出水町 ※宇土
昭和25年 稲郷中学校の水泳部の2,3年生。シーズンを終え、いつも練習している内田川をバックに記念撮影した。(同中は昭和45年閉校)=鹿本郡内田村 ※山鹿市菊鹿町の青木義幸さん提供
撮影:1950年10月
昭和25年 稲郷中学校の水泳部員たち=鹿本郡内田村
昭和25年3月 高田村立(現八代市)高田小学校6年3組の同級生=八代郡高田村 ※八代市豊原中町の吉川勇さん提供
撮影:1950年3月
昭和25年3月 高田小学校6年3組の同級生=八代郡高田村