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写真家から寄贈された写真のデジタルデータ化に取り組む八代市立博物館の学芸員=八代市 撮影日:平成28年09月07日
撮影:2016年9月
掲載日:2016-09-10
寄贈の写真、後世へ
球磨川右岸にある立岩=深田村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成20年10月09日
撮影:2008年10月
球磨川右岸にある立岩=深田村 (麦島勝氏撮影)
石原堰=八代市。撤去された球磨川の水を干拓地に引いた水路の石原堰が文化遺産として残されている (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成19年06月12日
撮影:2007年6月
石原堰=八代市。撤去された球磨川の水を干拓地に引いた水路の石原堰
天神の樟=八代市。推定樹齢1000年、幹囲14.4m、根回り30.5m、樹高23m。大正5年に郡浦村の天然記念物、昭和34年に県指定の天然記念物になった (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成15年04月25日
撮影:2003年4月
天神の樟=八代市。推定樹齢1000年、幹囲14.4m、根回り30.5m、
荒瀬ダム眺めふるさと祭り=坂本村。道の駅広場で「ふるさとまつり」が行われ、舞台では踊りや歌、各地区の郷土芸能が披露された。荒瀬ダム広場でも大勢の親子連れで賑わった (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成12年11月01日
撮影:2000年11月
荒瀬ダム眺めふるさと祭り=坂本村
「木材運搬の図」複写=椎葉村。木材運搬などを一筆書きにして用語や作業内容を教えた先人たちの知恵である。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成12年01月01日
撮影:2000年1月
「木材運搬の図」複写=椎葉村。木材運搬などを一筆書きにして用語や作業内容
八王さんの樟=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成10年05月20日
撮影:1998年5月
八王さんの樟=八代市 (麦島勝氏撮影)
南極観測船しらせ。第9回みなと八代フェスティバルが行われ電灯艦飾体験航海や船内見学・佐世保音楽隊八代地域芸能フェスタなどで賑わった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年09月25日
撮影:1995年9月
南極観測船しらせ=八代市。第9回みなと八代フェスティバル
雨乞い太鼓と鬼舞。江戸時代中期ごろ渇水に苦しんだ戸馳島の農民らが、福を呼ぶと信じられてた鬼の面をかぶり天に向かって太鼓を打ちならしたのが始まりとされている=三角町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年07月20日
撮影:1995年7月
雨乞い太鼓と鬼舞=三角町
雨乞い太鼓と鬼舞。江戸時代中期ごろ渇水に苦しんだ戸馳島の農民らが、福を呼ぶと信じられてた鬼の面をかぶり天に向かって太鼓を打ちならしたのが始まりとされる=三角町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年07月20日
撮影:1995年7月
雨乞い太鼓と鬼舞=三角町
肥薩線「きじ馬」号=八代市。八代から人吉までの肥薩線は球磨川沿いを運行するので「川線」と呼ばれ親しまれた。95年から97年までは人吉名物の「きじ馬」号の車輛が走った (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年05月01日
撮影:1995年5月
肥薩線「きじ馬」号=八代市。八代から人吉までの肥薩線は球磨川沿いを運行
空撮。前川、球磨川と八代市街。前方に白鷺橋、夕葉橋、前川堰、球磨川堰、萩原橋方面が見える。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成5年10月01日
撮影:1993年10月
空撮。前川、球磨川と八代市街
空撮 球磨川右岸にある石刎(いしはね)。加藤清正が7カ所造ったが、現在4カ所が残っている=八代市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮 球磨川右岸にある石刎(いしはね)(その2)=八代市
空撮。八代内港一帯。後方は八代大橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代内港一帯。後方は八代大橋=八代市 (麦島勝氏撮影)
空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (