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昭和38年 牛深市(現天草市)の下須島・天附の港に浮かぶ渡船「あまつけ丸」と写真提供の杉本定治船長。島と牛深港間でお客を運んだ。船は通天橋架橋後も利用され、今も現役で頑張っている=牛深市の天附港
撮影:1963年1月
昭和38年 あまつけ丸と杉本定治船長=牛深市の天附港 ※天草市牛深町の杉
昭和34年 国鉄(現JR)豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り。左前方には熊本名物だった熊本製糸の工場の煙突も見える=熊本市出水町 ※熊本市秋田町の稲葉光男さん提供
撮影:1959年1月
昭和34年 国鉄豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り
【部門賞 乗り物】昭和30年代 新堀橋下の市電=熊本市新堀町 ※熊本市池田の井上司朗さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年代 新堀橋下の市電=熊本市新堀町 ※熊本市池田の井上司朗さん提
昭和48年11月 菊池川に昭和50年代ごろまであった渡し船。早朝、対岸にある小学校、保育所に通う子どもたちを乗せ、ワイヤーを引く船頭さん=玉名郡菊水町菊水竃門 ※山鹿市下吉田の徳永義孝さん提供
撮影:1973年11月
昭和48年11月 菊池川の対岸にある小学校、保育所に渡し船で通う子どもた
昭和35年12月 我が家の車第1号・マツダR360クーペ4人乗り。マイカーという言葉が日常化するのはこの数年後=阿蘇郡阿蘇町 ※八代市大手町の吉本光さん提供
撮影:1960年12月
昭和35年12月 我が家の車第1号・マツダR360クーペ4人乗り=阿蘇郡
昭和30年 天草産業観光博覧会 会場でお客さんを待つ馬車=本渡市の本渡港埋立地 ※八代市大村町の川上正英さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年 天草産業観光博覧会 会場でお客さんを待つ馬車=本渡市の本渡港
昭和45年 看護婦新人時代、医院長先生のかばんを手に、マツダ・キャロルで往診に出発=阿蘇郡白水村 ※阿蘇郡南阿蘇村の渡辺泰代さん提供
撮影:1970年1月
昭和45年 看護婦時代、往診車キャロルで出発=阿蘇郡白水村 ※阿蘇郡南阿
昭和41年10月27日 国鉄豊肥線宮地駅構内のお召し列車と国鉄職員。写真提供の森本さんは当時、熊本客車区に勤務、列車の検査、整備のため同僚らと現地に出張した=阿蘇郡一の宮町 ※合志市豊岡の森本利秋さん提供
撮影:1966年10月
昭和41年10月 宮地駅構内のお召し列車と国鉄職員=阿蘇郡一の宮町
昭和33年2月 黒光りする重厚な蒸気機関車と迫りくるような雪の根子岳。高森町の旧専売公社下の、レールがカーブするあたりで=阿蘇郡高森町 ※同町の加藤正さん撮影、同町の溜渕靖人さん提供
撮影:1958年2月
昭和33年2月 雪の根子岳と蒸気機関車=阿蘇郡高森町
昭和32年7月27日 熊本県下に豪雨 被害を受けた鹿児島本線西浦踏切付近=飽託郡北部町 ※熊本市貢町の米村千津男さん提供
撮影:1957年7月
昭和32年7月27日 熊本県下に豪雨 被害を受けた鹿児島本線西浦踏切付近=飽託郡北部町(当時)
昭和50年4月 鮎帰・油谷川上流の川原谷地区に路線バス開通。村長さんも出席して歓迎セレモニー=八代郡坂本村 ※菊池市片角の光堀善教さん提供
撮影:1975年4月
昭和50年4月 鮎帰・油谷川上流の川原谷地区に路線バス開通
昭和29年3月、肥後小国駅と大分県九重町の恵良駅を結ぶ国鉄宮原線が全線開通。町民など6000人が一番列車を出迎えた。祝賀行事の記念写真。同線は59年11月に廃線、駅跡地には「道の駅」が建っている=阿蘇郡小国町 ※熊本市水前寺公園の佐藤絹子さん提供
撮影:1954年3月
昭和29年3月 国鉄宮原線開通祝賀行事の記念写真=阿蘇郡小国町 ※熊本
昭和14年4月 熊本市立高等女学校1年1組。後方は採釣園、左手は米田邸宅=熊本市坪井 ※玉名市の高木久美子さん提供
撮影:2000年1月
昭和14年4月 熊本市立高等女学校1年1組。後方は採釣園、左手は米田邸宅=熊本市坪井
昭和30年ごろ 天草地区のメーデー。荷車の上に並ぶ主催者=本渡市の諏訪神社裏の通称「種馬所」 ※八代市大村町の川上正英さん提供
撮影:2000年1月
昭和30年ごろ 天草地区のメーデー。荷車の上に並ぶ主催者=本渡市の諏訪神社裏の通称「種馬所」
昭和51年 国道57号東バイパス建設工事が始まる前の上江津湖に架かる木造の斎藤橋。夜遅くは車の通行もほとんどなく、やっと離合できるくらいの狭い橋だった=熊本市江津 ※熊本市出水の高本隆綱さん提供
撮影:1976年1月
昭和51年 上江津湖の斎藤橋。東バイパス工事前=熊本市江津