町名小史・上通町 昭和40年4月、以前の上通町、桜井町、長安寺町の大部分と、手取本町、黒鍬町、城東町、上林町、一本竹町、草葉町の一部を集めて上通町となった。
この通りは池田・西里方面にの延び、地図上で上に延びていたので「上通り」と呼ばれた。
一方、木山街道に延びる通りが下になるので「下通り」となった。
旧藩時代は下級武士の屋敷地帯で裏通りには小者(もの)の家が密集していた。西南の役で全焼した頃は120戸、800人ほどの町だったという。
大正13年の市電開通で一気に商業の中心地となる。上通は五高生の町でもあった。七高(鹿児島)との野球試合の後は、デモンストレーションがこの通りを大きく流れ、看板をはがしたり、ガラスを割ったりしたというが、町民たちは「学生さんのことだから」と、笑って済ました。 撮影日:2005/07/16
撮影:2005年7月