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熊本の歴史


  1. 2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町
    2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町(写真2枚をつないで合成)   撮影日:平成21年08月11日

    撮影:2009年8月


  2. 来月1日に解体が始まる旧遊郭「日本亭」=熊本市二本木
    来月1日に解体が始まる旧遊郭「日本亭」=熊本市二本木   撮影日:平成21年08月28日

    撮影:2009年8月


  3. 水害1年後の上通商店街=熊本市上通町
    016・26熊本大水害 水害1年後の上通商店街=熊本市上通町

    撮影:1954年6月


  4. 水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂
    016・26熊本大水害 水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂

    撮影:1954年6月


  5. 水害1周年、災害防止の祈願祭=阿蘇郡白水村
    086・26熊本大水害 水害1周年、災害防止の祈願祭=阿蘇郡白水村

    撮影:1954年6月

観光地・史跡


  1. 明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学
    町名小史・黒髪町 熊本大学の森に今も明治のかおりを残す旧五高の赤レンガ。へい衣破帽の竜南健児に代わってキャンパスでは現代の若者たちが語り合う。北側には緑が美しい立田山、時代が変わっても、文教都市熊本の特徴的風景がここにはある。“立田山から飛び立つ鳥は、鳥は鳥でも天下鳥(取り)”とか“立田・五高は不思議なところ、月が照るのに雨が降る”など、学生たちは放歌高吟した。明治29年、四国・松山中学から五高に赴任してきた夏目漱石は上熊本駅から人力車で京町台を下りながら、立田山方面を見てつぶやいた「ああ森の都だ」。この立田山の山ろくに広がる古い町並みが黒髪町。写真は明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学   撮影日:平成17年12月05日

    撮影:2005年12月


  2. 家並みと熊本城。手前の橋は坪井川に架かる永康橋=熊本市坪井5
    家並みと熊本城。手前の橋は坪井川に架かる永康橋=熊本市坪井5丁目より

    撮影:2004年10月


  3. 東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町
    町名小史・二本木町 「祇園山(花岡山)から二本木見れば、自由廃業でなんとしょ、金はなかしま家も質(楼主中島茂七)、東雲(しののめ)のストライキ、さい(帳場斎藤)とはつらいね、てなことおっしゃいましたかね」-の歌で知られる遊郭地帯だった。明治32年、東雲楼の遊女たちが自由廃業届けの挙にでた。結局は遊女側の敗北に帰したが、この東雲節で、二本木の名は一躍有名になった。二本木には平安時代に「二本木国府」が置かれた。地名の起源は、国府鎮護の護国寺の裏門近くに二本の木があったから、という説がある。明治4年の廃藩置県による県庁が古府中の二本木に新築され「白川県庁」と称していた。明治9年2月「熊本県」の改定とともに「古城」内に移転。白川公園、行幸町、出水町今(現・水前寺6丁目)と四転した。写真は東雲楼屋敷跡。さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町   撮影日:昭和34年8月19日

    撮影:1959年8月


  4. 船場橋から見た坪井川。上流を望むと熊本城天守閣がちょうど納ま
    船場橋から見た坪井川。上流を望むと熊本城天守閣がちょうど納まる =熊本市

    撮影:2005年11月


  5. 草に覆われた坪井川遊水地では釣りを楽しむ人の姿も。下流側には
    草に覆われた坪井川遊水地では釣りを楽しむ人の姿も。下流側には熊本城が見える =熊本市坪井

    撮影:2005年11月

イベント・スポーツ


  1. 校歌を歌いながらダイコン踊りを披露する3年生=熊本市の熊本農業高校
    校歌を歌いながらダイコン踊りを披露する3年生=熊本市の熊本農業高校   撮影日:平成21年09月12日

    撮影:2009年9月


  2. 熊本市の中心市街地で開かれている「ストリート・アートプレックス」
    町名小史・下通 上通と新市街を結ぶタテの線と、東部から市中に入る安巳橋通りがヨコに交差する地の利を得て、商店街が生まれた。大正13年の市電開通と、戦災後の衣替えで、上通と肩を並べる街に発展した。
    昭和40年4月の町名変更で、下通町、相撲町、光琳寺町の大部分、上・下追廻田畑町、鷹匠町、駕町、楠町、手取本町の一部が「下通1丁目」。仲間町、西岸寺町の全域、下通町、五十人組町、知足寺町、の大部分、楠町、新鍛冶屋町の一部が「下通2丁目」になった。
    上・下追廻田畑町には馬追い回しの調練場と藩の試作田畑があった。仲間町、五十人組町、駕町は城下町当時、仲間や小者(もの)五十人、お駕(かご)衆といった人たちの団地だったが、町名は消えた。   撮影日:2005/08/06

    撮影:2005年8月


  3. 最後の運動会で伝統の「田野俵踊り」を披露する田野小と人吉四中の児童
    最後の運動会で地域に伝わる伝統の「田野俵踊り」を披露する田野小と人吉四中の児童、生徒=人吉市田野町   撮影日:平成16年09月26日

    撮影:2004年9月


  4. 横浜FCの練習を見学する小学生たち=大津町運動公園
    横浜FCの練習を見学する小学生たち=大津町運動公園   撮影日:平成18年02月06日

    撮影:2006年2月


  5. 男子中学生がシンクロ披露 息の合った演技を見せる武蔵ケ丘中学校の3年生=
    男子中学生がシンクロ披露 息の合った演技を見せる武蔵ケ丘中学校の3年生=菊池郡菊陽町   撮影日:平成16年07月20日

    撮影:2004年7月

祭り


  1. 昭和39年 火の国まつりの仮装行列。自衛隊にも参加要請があり、娘と参列=
    昭和39年 火の国まつりで、熊本市の下通商店街を行く自衛隊の仮装行列。まつり実行委の参加要請で、各部隊が工夫を凝らした出し物で中心街をパレード。娘と参列した=熊本市下通 ※熊本市八景水谷の大山憲一郎さん提供

    撮影:1964年1月


  2. 多くの見物客でにぎわう中、豪快な放水が行われた通潤橋=5日正午すぎ
    多くの見物客でにぎわう中、豪快な放水が行われた通潤橋=5日正午すぎ、山都町   撮影日:平成21年09月05日

    撮影:2009年9月


  3. 通りには縁日コーナーも設けられ、にぎわった城下町くまもとゆかた祭
    町名小史・上通町 昭和40年4月、以前の上通町、桜井町、長安寺町の大部分と、手取本町、黒鍬町、城東町、上林町、一本竹町、草葉町の一部を集めて上通町となった。
    この通りは池田・西里方面にの延び、地図上で上に延びていたので「上通り」と呼ばれた。
    一方、木山街道に延びる通りが下になるので「下通り」となった。
    旧藩時代は下級武士の屋敷地帯で裏通りには小者(もの)の家が密集していた。西南の役で全焼した頃は120戸、800人ほどの町だったという。
    大正13年の市電開通で一気に商業の中心地となる。上通は五高生の町でもあった。七高(鹿児島)との野球試合の後は、デモンストレーションがこの通りを大きく流れ、看板をはがしたり、ガラスを割ったりしたというが、町民たちは「学生さんのことだから」と、笑って済ました。   撮影日:2005/07/16

    撮影:2005年7月


  4. 富岡稲荷初午大祭 小学生が乗った神輿(みこし)を投げあげる「
    富岡稲荷初午大祭 小学生が乗った神輿(みこし)を投げあげる「コッコデショ」=天草郡苓北町

    撮影:2006年3月


  5. じんだらじん 手づくりのたいまつを灯して歩く中学生ら=宇土市
    じんだらじん 手づくりのたいまつを灯して歩く中学生ら=宇土市網田地区

    撮影:2005年8月

街・施設


  1. 明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学
    町名小史・黒髪町 熊本大学の森に今も明治のかおりを残す旧五高の赤レンガ。へい衣破帽の竜南健児に代わってキャンパスでは現代の若者たちが語り合う。北側には緑が美しい立田山、時代が変わっても、文教都市熊本の特徴的風景がここにはある。“立田山から飛び立つ鳥は、鳥は鳥でも天下鳥(取り)”とか“立田・五高は不思議なところ、月が照るのに雨が降る”など、学生たちは放歌高吟した。明治29年、四国・松山中学から五高に赴任してきた夏目漱石は上熊本駅から人力車で京町台を下りながら、立田山方面を見てつぶやいた「ああ森の都だ」。この立田山の山ろくに広がる古い町並みが黒髪町。写真は明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学   撮影日:平成17年12月05日

    撮影:2005年12月


  2. 国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市
    国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市   撮影日:昭和37年08月16日

    撮影:2004年6月


  3. 東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町
    町名小史・二本木町 「祇園山(花岡山)から二本木見れば、自由廃業でなんとしょ、金はなかしま家も質(楼主中島茂七)、東雲(しののめ)のストライキ、さい(帳場斎藤)とはつらいね、てなことおっしゃいましたかね」-の歌で知られる遊郭地帯だった。明治32年、東雲楼の遊女たちが自由廃業届けの挙にでた。結局は遊女側の敗北に帰したが、この東雲節で、二本木の名は一躍有名になった。二本木には平安時代に「二本木国府」が置かれた。地名の起源は、国府鎮護の護国寺の裏門近くに二本の木があったから、という説がある。明治4年の廃藩置県による県庁が古府中の二本木に新築され「白川県庁」と称していた。明治9年2月「熊本県」の改定とともに「古城」内に移転。白川公園、行幸町、出水町今(現・水前寺6丁目)と四転した。写真は東雲楼屋敷跡。さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町   撮影日:昭和34年8月19日

    撮影:1959年8月


  4. 熊本市の中心市街地で開かれている「ストリート・アートプレックス」
    町名小史・下通 上通と新市街を結ぶタテの線と、東部から市中に入る安巳橋通りがヨコに交差する地の利を得て、商店街が生まれた。大正13年の市電開通と、戦災後の衣替えで、上通と肩を並べる街に発展した。
    昭和40年4月の町名変更で、下通町、相撲町、光琳寺町の大部分、上・下追廻田畑町、鷹匠町、駕町、楠町、手取本町の一部が「下通1丁目」。仲間町、西岸寺町の全域、下通町、五十人組町、知足寺町、の大部分、楠町、新鍛冶屋町の一部が「下通2丁目」になった。
    上・下追廻田畑町には馬追い回しの調練場と藩の試作田畑があった。仲間町、五十人組町、駕町は城下町当時、仲間や小者(もの)五十人、お駕(かご)衆といった人たちの団地だったが、町名は消えた。   撮影日:2005/08/06

    撮影:2005年8月


  5. 東雲楼跡=熊本市二本木町
    東雲楼跡=熊本市二本木町

    撮影:1960年6月

生活・文化・風俗


  1. 昭和48年11月 菊池川の対岸にある小学校、保育所に渡し船で通う子どもた
    昭和48年11月 菊池川に昭和50年代ごろまであった渡し船。早朝、対岸にある小学校、保育所に通う子どもたちを乗せ、ワイヤーを引く船頭さん=玉名郡菊水町菊水竃門 ※山鹿市下吉田の徳永義孝さん提供

    撮影:1973年11月


  2. 熊本市の中心市街地で開かれている「ストリート・アートプレックス」
    町名小史・下通 上通と新市街を結ぶタテの線と、東部から市中に入る安巳橋通りがヨコに交差する地の利を得て、商店街が生まれた。大正13年の市電開通と、戦災後の衣替えで、上通と肩を並べる街に発展した。
    昭和40年4月の町名変更で、下通町、相撲町、光琳寺町の大部分、上・下追廻田畑町、鷹匠町、駕町、楠町、手取本町の一部が「下通1丁目」。仲間町、西岸寺町の全域、下通町、五十人組町、知足寺町、の大部分、楠町、新鍛冶屋町の一部が「下通2丁目」になった。
    上・下追廻田畑町には馬追い回しの調練場と藩の試作田畑があった。仲間町、五十人組町、駕町は城下町当時、仲間や小者(もの)五十人、お駕(かご)衆といった人たちの団地だったが、町名は消えた。   撮影日:2005/08/06

    撮影:2005年8月


  3. 荒尾市の商店街に掲げられた産炭地振興の横断幕
    荒尾市の商店街に掲げられた産炭地振興の横断幕   撮影日:昭和37年12月16日

    撮影:2004年8月


  4. 県立図書館児童文庫=熊本市千葉城町
    県立図書館児童文庫=熊本市千葉城町   撮影日:昭和42年05月13日

    撮影:1967年5月


  5. 笑顔と緊張の新学期。新型インフルエンザの流行でマスクを着用して通学
    笑顔と緊張の新学期。新型インフルエンザの流行でマスクを着用して通学する児童も目立った=1日午前8時ごろ、熊本市戸島の託麻東小前   撮影日:平成21年09月01日

    撮影:2009年9月

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