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昭和13年12月 鶴羽地区での深耕講習会の様子。牛馬で鋤を引かせ土を耕す技術の習得は農家の必須課目だった。人馬一体となっての講習が各地で行われた=球磨郡多良木町 ※球磨郡多良木町の松崎啓一さん提供
撮影:1938年12月
昭和13年12月 鶴羽地区での深耕講習会の様子=球磨郡多良木町 ※球磨郡
昭和7年ごろ 理髪店の店舗改装工事。看板に右書きで書かれた「美髪舘」の文字が時代を感じさせる。辛島町で営む店は昨年、創業100年を迎えた=熊本市辛島町 ※熊本市辛島町の道野善暁さん提供
撮影:1932年1月
昭和7年ごろ 道野美髪館の店舗改装工事=熊本市辛島町
昭和43年2月 雪の中、郵便局員の集配業務。集配を済ませ帰路の途中を地元の人が写した。年に2、3回は降ったという大雪の時も、手紙や電報だけでなく新聞も届けた=上益城郡清和村(現山都町) ※同町の白鷹民子さん提供
撮影:1968年2月
昭和43年2月 雪の中、郵便局員の集配業務。集配を済ませ帰路の途中を地元
昭和15〜18年ごろ 菊池北部菓子工業組合の植林作業記念。戦時下、木材増産の号令に応え、隈府町(現菊池市)近郊で植林の奉仕作業をした時の1枚=菊池市 ※菊池市隈府の林巌さん提供
撮影:1940年1月
昭和15〜18年ごろ 菊池北部菓子工業組合の植林作業記念=菊池郡水源村
昭和14年、シラによる木材搬出 切り出されたスギ丸太の上に並ぶ搬出作業の人たち。丸太を組んだ「シラ」と呼ばれる木の道で木材を滑らせ、林道まで搬出した=阿蘇郡小国町 ※阿蘇郡小国町の秋吉太平さん提供
撮影:1939年1月
昭和14年 シラによる木材搬出=阿蘇郡小国町
昭和10年ごろ 収穫された阿蘇西瓜、茄子などを熊本青果に出荷=阿蘇郡内牧 ※阿蘇市内牧の坂本武さん提供
撮影:1935年1月
昭和10年ごろ 収穫された阿蘇西瓜、茄子などを熊本青果に出荷=阿蘇郡内牧
【入選】明治40年ごろ 志岐炭鉱の汽車による送炭。富岡まで鉄道が敷かれていた。 ※岡部五十四氏撮影、天草市の鶴田八洲成さん提供、「天草古蹟産物写真帖」より
撮影:1907年1月
明治40年ごろ 志岐炭鉱の汽車による送炭。富岡まで鉄道が敷かれていた。
【入選】昭和37年5月 免田郵便局電話交換室 交換機でお客さんと応対する私=球磨郡免田町 ※球磨郡群あさぎり町の池田是男さん提供
撮影:1962年5月
昭和37年5月 免田町郵便局電話交換室 交換機でお客さんと応対する私=球
昭和20年代後半 わらぶき小屋の前で米の脱穀、もみすり、俵詰めをする人たち。地区の隣保総出で作業を行った=阿蘇郡一の宮町 ※熊本市の和田さん提供
撮影:1945年1月
昭和20年代後半 藁葺き屋の前で米の脱穀、もみすり、俵詰めをする人たち
昭和18年ごろ 松根油の原料掘りに集まった山西村畑地区(現西原村)の人たち。第二次大戦の末期、航空機の燃料に使われた松根油の原料堀にこれから出発するところ=阿蘇郡西原村 ※阿蘇郡西原村の永田義徳さん提供
撮影:1943年1月
昭和18年ごろ 松根油の原料掘りの人たち=阿蘇郡西原村
昭和17年1月 初荷風景。コメを荷台いっぱいに積んだトラック、客馬車は「奥古閑―川尻」の文字が見える。それぞれに日の丸飾り。=熊本市奥古閑町 ※熊本市奥古閑町の馬場茂美さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年1月 初荷風景。客馬車は奥古閑―川尻間の文字が見える=熊本市奥
昭和17年ごろ 戦時中、古城村産業組合の米倉庫を造るため地づきが行われた。女性が中心になって、お年寄りの歌に合わせて地づきをした=阿蘇郡古城村(現阿蘇市) ※合志市幾久富の寺本伊文さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年ごろ 古城村産業組合の米倉庫建設。地づきの記念写真=阿蘇郡古城
昭和17年ごろ 制服姿もりりしく、ポンプ小屋前に整列した花園村下松山(現宇土市)の婦人消防団。戦地の子供たちに送るために撮った1枚で、当時上海にいた写真提供の鈴木さんの兄が持ち帰った ※宇城市松橋町の鈴木和子さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年ごろ 宇土町下松山の婦人消防団
昭和17年ごろ 出征中の兄に代わって杉材の運搬をする姉妹。妹の北里みや子さん=阿蘇郡小国町堀田地区 ※阿蘇郡南小国町の北里信光さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年ごろ 出征中の兄に代わって杉材の運搬をする姉妹=阿蘇郡小国町
昭和17年ごろ 出征中の兄に代わって杉材の運搬をする姉妹。姉の北里たすさん=阿蘇郡小国町堀田地区 ※阿蘇郡南小国町の北里信光さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年ごろ 出征中の兄に代わって杉材の運搬をする姉妹=阿蘇郡小国町