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昭和初期 いとこ2人が台湾から帰郷、熊本城前で撮った記念写真。乗り合いバスのような車と、ダットサン。ダットサンの車輪の外側にはシュロ製の泥よけが見える=熊本市本丸 ※熊本市八景水谷の西依卓爾さん提供
撮影:1928年1月
昭和初期 いとこ帰郷時の記念写真。ダットサンの泥除けに注目=熊本市本丸
昭和42年秋、スバル360と私。免許取得は昭和39年、写真提供の古閑さんが通勤などのため待望の新車を購入したのは3年後だった。マイカー通勤がまだ珍しかった時代だ=熊本市出水町 ※熊本市水前寺の古閑トシ子さん提供
撮影:1967年10月
昭和42年秋 スバル360と私=熊本市出水町
昭和39年ごろ ドライブの車の前で。免許取り立ての友人が運転して大津町のツツジ見学に出掛けたときのスナップ=山鹿地方 山鹿市鹿校通の大瀬和江さん提供
撮影:1964年1月
昭和39年ごろ 当時の乗用車。免許取り立て、友人とのドライブ=山鹿地方
昭和36年12月 人吉の城内グラウンドで催された自動車ショー。新型車とモデル嬢。マイカーという言葉が使われ始めたのもこのころからで、大衆化も加速していく=人吉市内 ※人吉市九日町の益田啓三さん提供
撮影:1961年12月
昭和36年12月 自動車ショー。トヨペット・コロナとモデル嬢=人吉市内
昭和30〜32年ごろ 阿蘇山上広場から中岳火口間の客馬車=阿蘇郡阿蘇町 ※阿蘇市黒川の中村光男さん提供
撮影:1955年1月
昭和30〜32年ごろ 阿蘇山上広場から中岳火口間の客馬車 01=阿蘇郡阿
昭和7年ごろ 熊本市の花畑町と出町方面を運行していた乗り合い自動車の、詰襟姿の運転手と女性車掌。写真提供の村上さん(車窓の子ども)は当時4〜5歳だった=熊本市 ※熊本市の村上安亮さん提供
撮影:1932年1月
昭和7年ごろ 乗り合い自動車と村上さん=熊本市
昭和7年ごろ 昭和初期に走った外車と祖父。市電味噌天神電停付近で、5〜6台でタクシー会社を経営していた=熊本市 ※熊本市京町の吉見誠一さん提供
撮影:1932年1月
昭和7年ごろ 昭和初期に走った自動車と祖父。市電味噌天神電停付近で=熊本
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。当時は国産トラックはなくシボレー、フォードが使われていた ※天草市河浦町の高松昭次郎さん提供
撮影:1930年1月
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。トラックはシボレー、フォードが使われていた
昭和26年夏 通町筋を行く市電。向こうに新世界映画劇場、下通入り口。信号はなく自由に横断できた=熊本市手取本町 ※山鹿市鹿本町の西村亮一さん提供
撮影:1951年8月
昭和26年夏 通町筋を行く市電。前方に映画館・新世界、下通入口をはさんで
昭和22年ごろ オートバイと父=球磨郡多良木町 ※球磨郡多良木町の西村育美さん提供
撮影:1947年1月
昭和22年ごろ オートバイと父=球磨郡多良木町 ※球磨郡多良木町の西村育
昭和17年1月 初荷風景。コメを荷台いっぱいに積んだトラック、客馬車は「奥古閑―川尻」の文字が見える。それぞれに日の丸飾り。=熊本市奥古閑町 ※熊本市奥古閑町の馬場茂美さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年1月 初荷風景。客馬車は奥古閑―川尻間の文字が見える=熊本市奥
昭和8年 隈府町と大津、旭野、水源間などを走った吉井自動車の社屋=菊池郡隈府町 ※菊池郡菊陽町の吉井正春さん提供
撮影:1933年1月
昭和8年 隈府町と大津、旭野、水源間などを走った吉井自動車の社屋=菊池郡
集魚灯に集まった魚を網で引き上げる漁師=天草市の牛深沖 撮影日:平成26年06月16日
撮影:2014年6月
掲載日:2014-06-18
網を引き上げる漁師たち=天草市牛深沖
ずらりと並んだ名車に見入る来場者=合志市 撮影日:平成26年06月08日
撮影:2014年6月
掲載日:2014-06-11
スーパーカーフェスティバル=合志市