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バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと功に運転手に伝えるガイドさん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年10月28日
撮影:1966年10月
バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと
貨物列車・SL=人吉市。肥薩線人吉~吉松間は山岳地帯を運行するので「山線」と呼ばれた。貨物列車は前後のSLが白煙をあげ走行した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年10月11日
撮影:1965年10月
貨物列車・SL=人吉市。肥薩線人吉~吉松間は山岳地帯を運行するので「山線
昭和空撮 薬園町、子飼一帯=熊本市 撮影日:昭和40年09月19日
撮影:1965年9月
掲載日:2011-05-05
昭和空撮28 薬園町、子飼一帯=熊本市 昭和40年
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車が通った。その間、いそがしい通行人もがまんしながら待ってくれた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月02日
撮影:1965年9月
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車
八代内港。客船の発着場が蛇篭港だった頃、戦時中の造船所跡地に工事用の船や貨物運搬船で「船だまり」ができるほどだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月01日
撮影:1965年5月
八代内港
やまなみハイウエー。九州横断道路が開通、バス旅行などの観光客が増加した=一の宮町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月20日
撮影:1964年11月
やまなみハイウエー=一の宮町
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウェー)も開通し観光客が増加した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウエー)が開通し、根子岳や千枚田を背景にひっきりなしに観光客が行き来した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結
新植柳橋工事。旧植柳橋老朽に伴う新橋の橋台や橋脚などの下部工の工事が着々進行している=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年05月05日
撮影:1964年5月
新植柳橋工事=八代市
旅は道連れ=人吉市。観光バスは異なるが隣りに駐車し、見知らぬ客が、窓越しに球磨焼酎の献杯、返盃。心は和む。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年11月05日
撮影:1963年11月
旅は道連れ=人吉市。観光バスは異なるが隣りに駐車し、見知らぬ客が、窓越し
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って買い物や塩屋八幡宮のお祭りに来ていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年10月25日
撮影:1963年10月
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って
木材運搬=八代市。狭い山道を木材を積んだトラックが離合する時は下を見ると恐い急な崖もあり、ひやひや慎重に通過した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年10月03日
撮影:1963年10月
木材運搬=八代市。狭い山道を木材を積んだトラック
レールバス廃車内部 (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和38年08月01日
撮影:1963年8月
レールバス廃車内部 (中村弘之氏撮影)
山鹿温泉鉄道_レールバス廃車内部 (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和38年08月01日
撮影:1963年8月
山鹿温泉鉄道_レールバス廃車内部 (中村弘之氏撮影)
山鹿温泉鉄道_廃車バス (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和38年08月01日
撮影:1963年8月
山鹿温泉鉄道_廃車バス (中村弘之氏撮影)