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多くの見物客でにぎわう中、豪快な放水が行われた通潤橋=5日正午すぎ、山都町 撮影日:平成21年09月05日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-05
多くの見物客でにぎわう中、豪快な放水が行われた通潤橋=5日正午すぎ
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。当時は国産トラックはなくシボレー、フォードが使われていた ※天草市河浦町の高松昭次郎さん提供
撮影:1930年1月
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。トラックはシボレー、フォードが使われていた
地区のどこからでも見える一本杉。すぐ下流に小さな石橋があり、左岸のたもとに地区共用の井戸がある=人吉市
撮影:2006年4月
地区のどこからでも見える一本杉。すぐ下流に小さな石橋があり、
満開のソメイヨシノと大窪橋=下益城郡美里町
撮影:2006年3月
満開のソメイヨシノと大窪橋=下益城郡美里町
架設から150年を経過した八勢目鑑橋。石畳の坂が山中まで続く=上益城郡御船町上野
撮影:2006年3月
架設から150年を経過した八勢目鑑橋。石畳の坂が山中まで続く
通潤橋、雪景色=上益城郡山都町
撮影:2005年12月
通潤橋、雪景色=上益城郡山都町
通潤橋 旧矢部町の轟川に架けられた単一アーチの石橋で、上部に3本の水道石管を通した水路橋として世界的にも知られている。この橋は矢部手永惣庄屋・布田保之助が、水不足に悩む白糸台地の住民を救うために架けたもので、6キロ離れた笹原川から水を引き新田を開発した。サイホンの原理を利用したユニークな工法で、工事は嘉永5年(1852)12月から約1年8カ月かかったといわれる。
通潤橋は現在も白糸台地の水田に水をもたらす現役である。9月の第1土・日には八朔(はっさく)祭りが行われ、造り物が町を練り歩く。=上益城郡山都町 撮影日:2005年09月03日
撮影:2005年9月
見物客が見守る中、放水が行われた通潤橋=上益城郡山都町
復元された江戸時代の水路橋「風呂橋」=下益城郡中央町
撮影:2004年3月
復元された江戸時代の水路橋「風呂橋」=下益城郡中央町
光尊寺のめがね橋=菊池郡大津町
撮影:2005年11月
光尊寺のめがね橋=菊池郡大津町
1861年に架けられた平山眼鏡橋=山鹿市
撮影:2004年9月
1861年に架けられた平山眼鏡橋=山鹿市
日向往還のルート上に当たる門前川橋を調べる御船町文化財保存推進協のメンバー=上益城郡御船町
撮影:2004年2月
日向往還のルート上に当たる門前川橋を調べる御船町文化財保存推