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江原中に贈られた自動車=熊本市 撮影日:昭和30年09月26日
撮影:1955年9月
掲載日:2012-11-25
【くまもと昭和を歩く44】江原中学校に贈られた自動車=熊本市春竹町
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったりと走る「客馬車」に子どもたちは大喜び。盆、正月やお祭りには子どもたちでいっぱいだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月15日
撮影:1955年8月
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったり
天草名物・幌馬車=本渡市 撮影日:昭和30年08月01日
撮影:1955年8月
掲載日:2012-11-07
【くまもと昭和を歩く41】天草名物・幌馬車=本渡市 昭和30年8月
靴みがき=熊本市。九州産交バスの発着場近くの記念碑の周囲には、こうもり傘を立てた靴磨き屋が店を出し、バスから降りた乗客は靴を磨いて新市街に行ったり、電車に乗った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月10日
撮影:1955年7月
靴みがき=熊本市。九州産交バスの発着場近くの記念碑の周囲には、こうもり傘
引込み線のSL=八代市。県南最大の工業地帯八代市には製紙、化学繊維、アルコール、セメントの大工場があり、その原材料や製品の搬入・搬出のため各工場に引き込み線があった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年04月19日
撮影:1955年4月
引込み線のSL=八代市。県南最大の工業地帯八代市の引込み線
乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッカとひづめの音を響かせて、静かな街角を走った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月03日
撮影:1955年1月
乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッ
C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声で出発する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年02月01日
撮影:1954年2月
C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声
客馬車とボンネットバス。終戦後、馬車がお客を運んでいたが、速度が早く座席も多いボンネットバスが登場した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
客馬車とボンネットバス=八代市
靴磨き=熊本市。記念碑の前は産交バスの発着センターがあり、九州の中心熊本にあった九州財務局や農政局、郵政局、熊本県庁、市役所などの役所があり多くの人が訪れ、靴磨き客も多かった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年09月12日
撮影:1953年9月
靴磨き=熊本市。記念碑の前は産交バスの発着センターがあり、九州の中心熊本
馬車とバス新旧交代=八代市。戦後、金剛干拓の工事が始まり「客馬車」がのどかに走った。その後、お客さんが3~4倍乗れる「バス」が登場すると惜しまれながら姿を消した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年07月20日
撮影:1953年7月
馬車とバス新旧交代=八代市
歳末大売出しの景品引き換え=八代市。八代市通町の旅館酒井屋での歳末大売り出し景品抽選引換の行列は隣町の出町まで続き、バスの通行にも支障が生じていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年01月02日
撮影:1953年1月
歳末大売出しの景品引き換え=八代市。八代市通町の旅館酒井屋での歳末大売り
馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年08月12日
撮影:1952年8月
馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高千穂・延岡方面に行く利用客も多かった。乗客は、九州一高い鉄橋の上から白川峡谷の景観を楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年10月01日
撮影:1951年10月
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高
豊肥本線立野のスイッチバック。白い煙を吐いているのは熊本方面への上り列車=長陽村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月25日
撮影:1951年5月
立野のスイッチバック=長陽村
一番列車=人吉市。肥薩線人吉駅から吉松方面に出発したら山田川の鉄橋を渡る。川の下では少女が、長靴をはき冷たい川の中で紙の原料「こうぞ」を踏んでいた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年02月10日
撮影:1951年2月
一番列車=人吉市。肥薩線人吉駅から吉松方面に出発したら山田川の鉄橋を渡る