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水前寺公園を清掃する子どもたち=熊本市 撮影日:昭和41年01月19日
撮影:1966年1月
水前寺公園を清掃する子どもたち=熊本市
大雨 小舟で下校する児童=熊本市の画図小学校 撮影日:昭和39年06月26日
撮影:1964年6月
大雨 小舟で下校する児童=熊本市の画図小学校
大雪 水前寺公園の子供たち=熊本市 撮影日:昭和38年01月06日
撮影:1963年1月
大雪 水前寺公園の子供たち=熊本市
昭和34年12月 白川公園で行われた大相撲熊本場所。当時関脇だった栃光関と向山小学校6年3組の児童=熊本市草葉町 ※熊本市本山の中村一宏さん提供
撮影:1959年12月
昭和34年12月 白川公園で行われた大相撲熊本場所。栃光関と向山小学校6
016・26熊本大水害 水害1年後の上通商店街=熊本市上通町
撮影:1954年6月
水害1年後の上通商店街=熊本市上通町
026・26熊本大水害 水害1周年慰霊祭の後、白川へ花束を投げる慰霊団=熊本市安政町
撮影:1954年6月
水害1周年慰霊祭の後、白川へ花束を投げる慰霊団=熊本市安政町
笑顔と緊張の新学期。新型インフルエンザの流行でマスクを着用して通学する児童も目立った=1日午前8時ごろ、熊本市戸島の託麻東小前 撮影日:平成21年09月01日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-01
笑顔と緊張の新学期。新型インフルエンザの流行でマスクを着用して通学
熊本市電 路面電車は「環境にやさしい乗り物」と注目される一方で、全国的に乗客の減少がみられる。その中で、熊本市交通局は全国で初めて冷房車や超低床電車を導入、ラッシュ時には2、3分おきに運行するなど工夫を重ね、健闘してきた。
昭和30年代には現在の2路線のほかに、川尻線、広町線、南熊本線、子飼橋線があり、市民に愛された。
熊本市電の開業は大正13年8月1日。早朝5時、第一号電車が新装の大江車庫を走り出した。「次は味噌天神、味噌天神でありまーす。お降りの方はお忘れ物のなきようお仕度くださーい」。若い車掌さんは慣れぬ手つきで切符にハサミを入れた。
以降終日、市電は超満員で、停留所で待っても乗れない電車にゴウをにやした市民は「お急ぎの方はどうぞお歩き下さい」・・・。これが市電開業当初の流行語だった。
開業当時の営業区間は、熊本駅―浄行寺、水道町―水前寺の2路線だった。写真は市街地を通るバスと路面電車=熊本市 撮影日:平成17年09月05日
撮影:2005年9月
市街地を通るバスと路面電車=熊本市
町名小史・新町 新町は加藤清正がつくった“新市街”である。清正は都市計画の中で侍町と町人町に分けた。町人町は、飽田国府(二本木町)の商家を移して城の正面(西側)に建設、これを新町と呼んだ。清正の新城下町づくりでできた町には、住民の職業で付けられた町名が多い。後年の細川藩時代の記録によると、新町一帯は新魚屋町、新馬借町、新桶屋町、桧物(ひもの)屋町、塩屋町、新鳥屋町、瓶(つかめ)屋町、上・中・下職人町、新細工町のほか、清正の朝鮮の役ゆかりの蔚山町、高麗門の名がみえる。
昭和40年11月、従来の職業を付した町名は改正され、新町1丁目から4丁目までにかわった。 撮影日:2004/06/22
撮影:2004年6月
一新校区の街並み=熊本市新町
バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市 撮影日:平成16年06月19日
撮影:2004年6月
バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市
大雨 冠水した農道=熊本市の御幸小学校付近 撮影日:昭和39年06月27日
撮影:1964年6月
大雨 冠水した農道=熊本市の御幸小学校付近
県下に豪雨 小舟で通学する画図小学校の児童=熊本市 撮影日:昭和37年07月05日
撮影:1962年7月
県下に豪雨 小舟で通学する画図小学校の児童=熊本市
大雨、浸水した下通商店街=熊本市
撮影:1960年7月
大雨、浸水した下通商店街=熊本市
016・26熊本大水害 水害1周年、災害跡地の住民=熊本市大江町
撮影:1954年6月
水害1周年、災害跡地の住民=熊本市大江町
6・26熊本大水害 水害1周年、若者500人が復旧活動の奉仕=熊本市城山町
撮影:1954年6月
水害1周年、若者500人が復旧活動の奉仕=熊本市城山町