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町名小史・黒髪町 熊本大学の森に今も明治のかおりを残す旧五高の赤レンガ。へい衣破帽の竜南健児に代わってキャンパスでは現代の若者たちが語り合う。北側には緑が美しい立田山、時代が変わっても、文教都市熊本の特徴的風景がここにはある。“立田山から飛び立つ鳥は、鳥は鳥でも天下鳥(取り)”とか“立田・五高は不思議なところ、月が照るのに雨が降る”など、学生たちは放歌高吟した。明治29年、四国・松山中学から五高に赴任してきた夏目漱石は上熊本駅から人力車で京町台を下りながら、立田山方面を見てつぶやいた「ああ森の都だ」。この立田山の山ろくに広がる古い町並みが黒髪町。写真は明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学 撮影日:平成17年12月05日
撮影:2005年12月
明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学
家並みと熊本城。手前の橋は坪井川に架かる永康橋=熊本市坪井5丁目より
撮影:2004年10月
家並みと熊本城。手前の橋は坪井川に架かる永康橋=熊本市坪井5
昭和34年 国鉄(現JR)豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り。左前方には熊本名物だった熊本製糸の工場の煙突も見える=熊本市出水町 ※熊本市秋田町の稲葉光男さん提供
撮影:1959年1月
昭和34年 国鉄豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り
船場橋から見た坪井川。上流を望むと熊本城天守閣がちょうど納まる =熊本市
撮影:2005年11月
船場橋から見た坪井川。上流を望むと熊本城天守閣がちょうど納ま
草に覆われた坪井川遊水地では釣りを楽しむ人の姿も。下流側には熊本城が見える =熊本市坪井
撮影:2005年11月
草に覆われた坪井川遊水地では釣りを楽しむ人の姿も。下流側には
空撮 マンションも目立つ旧城下。熊本城(手前)と新町、横手の町並み。奥は花岡山
撮影:2005年2月
空撮 マンションも目立つ旧城下。熊本城(手前)と新町、横手の
国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市 撮影日:昭和37年08月16日
撮影:2004年6月
国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市
ボーナス景気でにぎわう上通商店街=熊本市 撮影日:昭和37年12月16日
撮影:2004年8月
ボーナス景気でにぎわう上通商店街=熊本市
昭和51年 国道57号東バイパス建設工事が始まる前の上江津湖に架かる木造の斎藤橋。夜遅くは車の通行もほとんどなく、やっと離合できるくらいの狭い橋だった=熊本市江津 ※熊本市出水の高本隆綱さん提供
撮影:1976年1月
昭和51年 上江津湖の斎藤橋。東バイパス工事前=熊本市江津
水前寺公園の池を清掃する出水中学校の生徒たち=熊本市 撮影日:昭和37年07月20日
撮影:2004年5月
水前寺公園の池を清掃する出水中学校の生徒たち=熊本市
大雨で増水した白川の代継橋付近=熊本市本荘町 撮影日:昭和36年6月9日
撮影:1961年6月
大雨で増水した白川の代継橋付近=熊本市本荘町
016・26熊本大水害 水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂
撮影:1954年6月
水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂
町名小史・上通町 昭和40年4月、以前の上通町、桜井町、長安寺町の大部分と、手取本町、黒鍬町、城東町、上林町、一本竹町、草葉町の一部を集めて上通町となった。
この通りは池田・西里方面にの延び、地図上で上に延びていたので「上通り」と呼ばれた。
一方、木山街道に延びる通りが下になるので「下通り」となった。
旧藩時代は下級武士の屋敷地帯で裏通りには小者(もの)の家が密集していた。西南の役で全焼した頃は120戸、800人ほどの町だったという。
大正13年の市電開通で一気に商業の中心地となる。上通は五高生の町でもあった。七高(鹿児島)との野球試合の後は、デモンストレーションがこの通りを大きく流れ、看板をはがしたり、ガラスを割ったりしたというが、町民たちは「学生さんのことだから」と、笑って済ました。 撮影日:2005/07/16
撮影:2005年7月
通りには縁日コーナーも設けられ、にぎわった城下町くまもとゆかた祭
出水神社拝殿の建物外観=熊本市水前寺公園
撮影:2003年4月
出水神社拝殿の建物外観=熊本市水前寺公園
熊本市内積雪 雪合戦=水前寺公園 撮影日:昭和41年12月27日
撮影:1966年12月
熊本市内積雪 雪合戦=水前寺公園