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大江湖の網びらき=八代市。八代海の背後にある大江湖では9月中旬が網びらき。投げ網が広がりボラが獲れる。手作りの舟が多く、かごに入りきれない獲物に人気がある。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年09月14日
撮影:1970年9月
大江湖の網びらき=八代市。八代海の背後にある大江湖では9月中旬が網びらき
日奈久温泉表通り=八代市。国道3号が舗装され、車も馬車も仲良く走り、温泉町は昼夜賑わった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年07月25日
撮影:1970年7月
日奈久温泉表通り=八代市。国道3号が舗装され、車も馬車も仲良く走り、温泉
八代から本渡へ行くには、姫戸経由で本渡の大門港へ着くものと、三角経由で大矢崎港につくものがあった=本渡市た (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年07月16日
撮影:1970年7月
大矢崎港=本渡市
日奈久温泉広場=八代市。客馬車も見える (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年01月03日
撮影:1970年1月
日奈久温泉広場=八代市。客馬車も見える (麦島勝氏撮影)
7紙芝居=八代市蛇籠。町内を一回りする紙芝居のオジサンを見ると、遊んでいた子供たちは神社の境内に集まる。1円で飴を買い、おじさんの熱演に見とれる子供たち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年00月41日
撮影:1970年1月
7紙芝居=八代市蛇籠。町内を一回りする紙芝居のオジサンを見ると、遊んでい
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た人の中には、買い物を頭に乗せうまく歩く人もいた。みんな慣れていてびっくりしなかった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年09月05日
撮影:1968年9月
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た
4月中旬から旧前川橋の鉄橋で泳ぐ色とりどりのこいのぼり=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年05月05日
撮影:1968年5月
前川橋のこいのぼり=八代市
旧日本セメント八代工場=八代市。明治23年操業を始め、工都八代市のシンボル的な存在で小中学ではスケッチやセメントのできる工程など外から勉強した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年04月15日
撮影:1968年4月
旧日本セメント八代工場=八代市。明治23年操業を始め、工都八代市のシンボ
不知火見物=八代市高島。不知火は、八朔の日の深夜に見える。見物の人々はそれまで歌や踊りなどで寒さもいとわず秋の夜を楽しんで待った。だ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年09月05日
撮影:1967年9月
不知火見物=八代市高島。不知火は、八朔の日の深夜に見える。見物の人々はそ
日奈久の客馬車=八代市。日奈久駅の上り下りの列車時間に合わせ木造3階建ても多い老舗旅館を巡回する。自家用車が増加し、道も渋滞するようになった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年03月18日
撮影:1967年3月
日奈久の客馬車=八代市。日奈久駅の上り下りの列車時間に合わせ木造3階建て
畜産市の昼食。手塩にかけた牛馬が高値で売れるか、大切な日。お昼には酒を振る舞い夫人ともども機嫌をとる=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年11月18日
撮影:1966年11月
畜産市の昼食=八代市
バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと功に運転手に伝えるガイドさん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年10月28日
撮影:1966年10月
バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと
八代宮神橋=八代市。お堀には蓮や菜。大洋デパートやバックの家が当時をしのばせる (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年10月01日
撮影:1966年10月
八代宮神橋=八代市。お堀には蓮や菜。大洋デパートやバックの家が当時をしの
球磨川全域が豪雨にに見舞われた。八代市の荻原町の堤防決壊で民家が流出し、国道3号も大混乱した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月24日
撮影:1965年9月
球磨川の洪水=八代市
十五夜踊り=八代市。十五夜の綱引きの最後は、篝火(かがりび)の廻りで婦人会の人たちが踊り、泊まり客も飛び入りし秋の夜を楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月18日
撮影:1965年9月
十五夜踊り=八代市。十五夜の綱引きの最後は、篝火(かがりび)の廻りで婦人