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客馬車=八代市。軽快な足取りの馬車。渋滞の原因ともなったが、懐かしい名物馬車 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年09月01日
撮影:1973年9月
客馬車=八代市。軽快な足取りの馬車
前川橋修理=八代市。前川右岸の橋げたが洪水などで損傷したので、木材で架橋をつくり通行した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年01月01日
撮影:1973年1月
前川橋修理=八代市。前川右岸の橋げたが洪水などで損傷したので、木材で架橋
大根荒い=八代市。すべて手作業だった農業に機械が導入された (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年10月05日
撮影:1972年10月
大根荒い=八代市。すべて手作業だった農業に機械が導入された (麦島勝氏撮
水害で金剛橋が不通となり、渡船を利用する人たち=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年08月15日
撮影:1972年8月
水害で金剛橋が不通となり、渡船を利用する人たち=八代市
日奈久の旅館=八代市。日奈久の旅館=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年07月27日
撮影:1972年7月
日奈久の旅館=八代市。日奈久の旅館=八代市 (麦島勝氏撮影)
日奈久の町並み=八代市。「丑の湯まつり」で賑わう温泉街は雨が降り出してさあ大変。泊まり客も相合い傘で戸惑った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年07月27日
撮影:1972年7月
日奈久の町並み=八代市。「丑の湯まつり」で賑わう温泉街は雨が降り出してさ
工場の引込み線と汽車=八代市。工場の資材や製品を運搬するため興人、日本セメント、三楽工場には引き込み線があり、SLが活躍した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年04月23日
撮影:1972年4月
工場の引込み線と汽車=八代市。工場の資材や製品を運搬するため興人、日本セ
しゅんせつ船。球磨川水系は汽水域(淡水と海水が混じる塩分が少ない)で塩分除去が早いと有名になりコンベアーを使ったしゅんせつ船が活躍した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和46年05月23日
撮影:1971年5月
しゅんせつ船=八代市
日奈久の町並み=八代市。温泉センター前は、江戸時代に整備された薩摩街道。客馬車が人気で、各旅館と駅を巡回しているが自動車も多くなり、路地裏も次第に車で渋滞するようになった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和46年03月15日
撮影:1971年3月
日奈久の町並み=八代市。温泉センター前は、江戸時代に整備された薩摩街道。
街頭募金のボーイスカウト=八代市。歳末助け合い運動。少年たちが、大洋デパートの前で声をからしていた。バスやバイクが走り、アーケードもない。当時の町並みがなつかしい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年12月20日
撮影:1970年12月
街頭募金のボーイスカウト=八代市。歳末助け合い運動。少年たちが、大洋デパ
観客=八代宮相撲場。八代宮の境内にある相撲場では大相撲の地方巡業や土佐犬の斗犬大会、選挙の応援演説会場になった。斜面は石段になって座ることができた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月28日
撮影:1970年11月
観客=八代宮相撲場。八代宮の境内にある相撲場では大相撲の地方巡業や土佐犬
祭り帰り。八代市の塩屋八幡宮の秋祭りには、天草から八代の蛇篭港への定期便があって毎年賑わっていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月25日
撮影:1970年11月
祭り帰り。天草から八代の蛇篭港への定期便
祭りで一杯=八代市宮地町。妙見さんで有名な八代神社の秋祭りを見に来た同級生たちは、朝から神幸行列で参拝人に御神酒を飲ませていたのを真似して一升瓶で回し飲みした (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月18日
撮影:1970年11月
祭りで一杯=八代市宮地町。妙見さんで有名な八代神社の秋祭りを見に来た同級
日奈久の客馬車=八代市。旧薩摩街道から国道3号や日奈久駅に向かって蹄の音も軽やかに通る。ここが薩摩街道の入口である。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年10月15日
撮影:1970年10月
日奈久の客馬車=八代市。旧薩摩街道から国道3号や日奈久駅に向かって蹄の音
機械化されたしゅんせつ作業=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年09月27日
撮影:1970年9月
機械化されたしゅんせつ作業=八代市 (麦島勝氏撮影)