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天神の樟=八代市。推定樹齢1000年、幹囲14.4m、根回り30.5m、樹高23m。大正5年に郡浦村の天然記念物、昭和34年に県指定の天然記念物になった (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成15年04月25日
撮影:2003年4月
天神の樟=八代市。推定樹齢1000年、幹囲14.4m、根回り30.5m、
八王さんの樟=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成10年05月20日
撮影:1998年5月
八王さんの樟=八代市 (麦島勝氏撮影)
南極観測船しらせ。第9回みなと八代フェスティバルが行われ電灯艦飾体験航海や船内見学・佐世保音楽隊八代地域芸能フェスタなどで賑わった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年09月25日
撮影:1995年9月
南極観測船しらせ=八代市。第9回みなと八代フェスティバル
肥薩線「きじ馬」号=八代市。八代から人吉までの肥薩線は球磨川沿いを運行するので「川線」と呼ばれ親しまれた。95年から97年までは人吉名物の「きじ馬」号の車輛が走った (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年05月01日
撮影:1995年5月
肥薩線「きじ馬」号=八代市。八代から人吉までの肥薩線は球磨川沿いを運行
空撮。前川、球磨川と八代市街。前方に白鷺橋、夕葉橋、前川堰、球磨川堰、萩原橋方面が見える。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成5年10月01日
撮影:1993年10月
空撮。前川、球磨川と八代市街
空撮 球磨川右岸にある石刎(いしはね)。加藤清正が7カ所造ったが、現在4カ所が残っている=八代市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮 球磨川右岸にある石刎(いしはね)(その2)=八代市
空撮。八代内港一帯。後方は八代大橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代内港一帯。後方は八代大橋=八代市 (麦島勝氏撮影)
空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (
空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代市街と球磨川(その2)
空撮。球磨川と八代市街 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。球磨川と八代市街 (麦島勝氏撮影)
空撮。球磨川右岸にある石刎(いしはね)。加藤清正が7カ所造ったが、現在4カ所が残っている=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。球磨川右岸にある石刎(いしはね)=八代市
梅の木轟の滝=八代市泉町 (福嶋俊郎氏撮影) 撮影日:平成3年05月01日
撮影:1991年5月
梅の木轟の滝=八代市泉町 (福嶋俊郎氏撮影)
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右岸の段地区まで通学船今泉丸が送迎した。西部大橋が建造されるまで続いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成2年10月08日
撮影:1990年10月
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更するにあたり、PRの飛行船が八代市の工業団地埋立地の広場を基地に九州各地へ飛んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和63年03月13日
撮影:1988年3月
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更す
七五三写真撮影=八代市。きれいに着飾ったお姉ちゃんと弟で、お母さんに写真を撮ってもらいました。お仁王さまと一緒でよかったね、とひなたぼっこの曾おばあちゃん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和62年11月03日
撮影:1987年11月
七五三写真撮影=八代市。きれいに着飾ったお姉ちゃんと弟で、お母さんに写真