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竹馬遊び=八代市。小学校の5~6年生になると竹馬遊びなどで遊んだ。手作りで屋根の上からでないと乗れないほどの竹馬に乗れると一丁前になった誇りで威張れた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月03日
撮影:1949年1月
竹馬遊び=八代市。小学校の5~6年生になると竹馬遊びなどで遊んだ。手作り
現在の八代郵便局前にあった八代市役所。戦時中からの木造2階建てと平屋建てが庁舎だった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
現在の八代郵便局前にあった八代市役所
竹馬あそび=八代市。まだ自家用車が町内を走り回らない正月。子供たちは、自分たちで作った竹馬で遊んだ。年長になって高い竹馬に乗ると1人前と認められ自慢した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
竹馬あそび=八代市。まだ自家用車が町内を走り回らない正月。子供たちは、自
竹馬遊び=八代市。自家用車がまだ多くなかったころ。正月に自分たちでつくった竹馬であそぶの子供たち。屋根の上から竹馬に乗るくらいで一人前だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
竹馬遊び=八代市。自家用車がまだ多くなかったころ。正月に自分たちでつくっ
いかだ流し=八代市の球磨川。筏(いかだ)は、木材の直径、長さ、用途、運搬量などで組み立てが異なり、出発地でも違った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月23日
撮影:1948年10月
いかだ流し=八代市の球磨川
日奈久の湯治客=八代市。農閑期の束の間の骨休めに近隣や天草からも湯治客が訪れた。道路も未舗装、石油スタンドも手回し。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年09月15日
撮影:1948年9月
日奈久の湯治客=八代市。農閑期の束の間の骨休めに近隣や天草からも湯治客が
田植え。苗綱どりの合図で綱に結んである赤い目印のところに苗を手植えする=坂本村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年06月27日
撮影:1948年6月
田植え=坂本村植
水くみ=八代市大築島。セメントの原料石灰岩採取鉱山のある大築島には作業員の社宅があり、その飲料水は雨水をコンクリートの水槽に貯め各家庭で沸かして使用した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月03日
撮影:1948年5月
水くみ=八代市大築島。セメントの原料石灰岩採取鉱山のある大築島には作業員
いかだ流し=八代市の球磨川。川辺川、球磨川の上流から48瀬とも言われる急流を渡りやっと八代に着く。昭和になってダムができるまで続いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月02日
撮影:1948年5月
いかだ流し=八代市の球磨川
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、ラッパを吹いて町内を巡る。子供たちが神社の境内に集まり、買ったあめや水あめをたべながら、おじさんの熱演に見とれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月17日
撮影:1948年4月
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、ラッパを吹いて町内を巡る。子供たちが
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供たちは、神社やお寺の境内に集まる。買った飴や水あめを食べながら、面白おかしく語るおじさんの熱演に見とれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月17日
撮影:1948年4月
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に何回も運んだ。1俵が15キロの木炭を8俵、11俵も積み、当時の人たちの忍耐力に驚く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月07日
撮影:1948年4月
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に
寒ノリ摘み=八代市。寒風の中、海中に立てた「海苔ひび」と呼ばれる竹についた海苔をむしり採る。干潮時を待って急いで摘み取る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月05日
撮影:1948年3月
寒ノリ摘み=八代市。寒風の中で寒ノリ摘み
野良仕事のお昼=八代市。野良仕事の母と子。球磨川の土手で弁当をおいしそうに食べている。貧しいけれどお母さんといる幸せ、子供といる幸せに笑顔が輝いていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月05日
撮影:1948年3月
野良仕事のお昼=八代市。野良仕事の母と子。球磨川の土手で弁当をおいしそう
馬の蹄鉄(ていてつ)打ちをする鍛冶屋さん=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月01日
撮影:1948年3月
馬の蹄鉄(ていてつ)打ちをする鍛冶屋さん=八代市 (麦島勝氏撮影)