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メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせた
メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせ、好物の「さや虫」(葦などの茎の中にいる虫)をあたえてやる (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月21日

撮影:1951年3月

メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせた

村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす
村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす。右手で鉄を火の中に入れ、焼けた鉄を相槌人と打ったり曲げたりして製品をつくる (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月06日

撮影:1951年3月

村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす

正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福
正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福笑いゲーム”を楽しんだ。2組に分かれ次々にタオルで目をふさぎ、紙に画や字を書く。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年01月01日

撮影:1951年1月

正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福

田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる
田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる。鍬を牛に引かせ、土に太陽がくまなくあたる様に深く掘りあげる。牛は重要な家族の一員で大事に飼育された。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年11月30日

撮影:1950年11月

田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる

いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ
いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ。鉄線を使用すると木材に傷が残るので、山林の樹木に巻き付いている「葛(かずら)」の茎が使用された。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月25日

撮影:1950年10月

いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ

いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた
いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた。当時、洗濯や魚釣りをした所が、今は旭中央通りの道や町になった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月23日

撮影:1950年10月

いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた

すずめ脅しのガス大砲=八代市。たわわに実った稲穂を荒らす雀を追い払うため
すずめ脅しのガス大砲=八代市。たわわに実った稲穂を荒らす雀を追い払うため、竹にカーバイトと水を入れて、アセチレンガスを発生させ火をつけると、ドーンと大きな音が鳴り、驚いて雀が逃げた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月15日

撮影:1950年10月

すずめ脅しのガス大砲=八代市。たわわに実った稲穂を荒らす雀を追い払うため

温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風
温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風景で温泉町の情緒があった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月15日

撮影:1950年10月

温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風

ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂
ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂利をとり「ダンベ船」という大きな船に積み、各地に運搬。球磨川の丸石として珍重された (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月01日

撮影:1950年10月

ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂

生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)で海水浴の帰りには、新鮮な魚を買った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年08月30日

撮影:1950年8月

生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温
本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温泉。殿様の「御前湯」、武士の「お次湯」、平民の「平湯」に区別された。明治以降は開放され本湯温泉センターになった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年07月28日

撮影:1950年7月

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら
洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降らなくても上流に雨が降るとすぐ増水し通行者はズボンをまくり、用心しながら渡る国道3号だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月27日

撮影:1950年6月

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら

沈み橋(清水橋)=八代市
沈み橋(清水橋)=八代市。旧萩原橋を渡り、高田記念碑前に通じる道は上流で雨が多く降るとすぐ冠水するので、「清水橋」という名前があるが、当時「沈み橋」と呼ばれた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月25日

撮影:1950年6月

沈み橋(清水橋)=八代市

洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨
洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨でも水浸しになり、自動車は船が通る様に波を切って走る。子どもたちは、トラックやバスに追いすがって遊んだ (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月25日

撮影:1950年6月

洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る
下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降ると渡れなくなる。男の子が浅い場所を下校で困る女学生に教えた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月21日

撮影:1950年6月

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る

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  • 2018.06.02
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