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アルマイトの弁当箱を持って昼食。作業員はヘルメットや安全対策がなくても不満も漏らさずに頑張っていた=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年11月06日
撮影:1956年11月
アルマイトの弁当箱を持って昼食=八代市の金剛干拓
にんじん洗い=八代市。今は八代の幹線道路になっている旭中央通りは、野上の原っぱで畑や牧場、せせらぎの水も流れて大根や人参も洗って出荷した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月24日
撮影:1956年10月
にんじん洗い=八代市。今は八代の幹線道路になっている旭中央通りは、野上の
日奈久の相撲見物=八代市。温泉神社の境内には昔から「桟敷」が設けられ温泉客で賑った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月15日
撮影:1956年10月
日奈久の相撲見物=八代市。温泉神社の境内には昔から「桟敷」が設けられ温泉
大根洗い=八代市。現在は、埋められて市街地になっているが、野上一帯は牧場や製材所の他は川や農地で大根畑もあり球磨川の水で洗った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月14日
撮影:1956年10月
大根洗い=八代市。現在は、埋められて市街地になっている
八代大洋デパート開店=八代市。県内第2の都市八代市には、五大工場があり人口も熊本市に次ぐ。県南の商業圏の客を当て込んだ開店で活気がただよった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月08日
撮影:1956年10月
八代大洋デパート開店=八代市。県内第2の都市八代市には、五大工場があり人
工場巡りのSL=八代市。八代市には製紙、繊維、セメント、アルコール工場の製品や原材料を運ぶ専用の引込線路があり市内の東西を運転していた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月01日
撮影:1956年10月
工場巡りのSL=八代市。八代市には製紙、繊維、セメント、アルコール工場の
漁帰り=八代市。投網でセイゴ、キス、ボラなどを獲り、新鮮なうちに魚市場に運んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年09月22日
撮影:1956年9月
漁帰り=八代市。投網でセイゴ、キス、ボラなどを獲り、新鮮なうちに魚市場に
旧植柳橋=八代市。八代市内から日奈久、水俣方面への行き来に重要な役割を果たす「植柳橋」。明治、大正時代から洪水の度に破損した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月26日
撮影:1956年8月
旧植柳橋=八代市。八代市内から日奈久、水俣方面への行き来に重要な役割を果
若宮海水浴場=水澄町。八代の蛇籠港から「ポンポン船」で戸馳島まで出かけ、海水浴場で泳ぎ、砂の上で「スイカ」割りを楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月11日
撮影:1956年8月
若宮海水浴場=水澄町。八代の蛇籠港から「ポンポン船」で戸馳島まで出かけ、
金剛干拓の試作田。農林省検査官が「砂質で除塩や沈下も少なく良好な土地」と評した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年07月01日
撮影:1956年7月
金剛干拓の試作田=八代市
季節保育園=八代市八千把。農家では田植えや稲刈りなどの農繁期には幼児の世話に困る。近くのお寺で「季節保育園」をつくって手助けした。時々昼食後田んぼに行って遊んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月16日
撮影:1956年6月
季節保育園=八代市八千把。農家では田植えや稲刈りなどの農繁期には幼児の世
下駄を持つ子ども=八代市。下駄を持って、はだしで歩く子ども (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月07日
撮影:1956年6月
下駄を持つ子ども=八代市。下駄を持って、はだしで歩く子ども (麦島勝氏撮
自転車と脱げた下駄=八代市。自転車に乗った人が落としたげたを拾ってやる子ども。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月07日
撮影:1956年6月
自転車と脱げた下駄=八代市。自転車に乗った人が落としたげたを拾ってやる子
金剛干拓の井戸掘り。地盤の堅い場所では竹車に巻いた綱に取り付けた突棒の反動を利用してパイプを打ち込んだ=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年03月03日
撮影:1956年3月
金剛干拓の井戸掘り=八代市
大根干し=八代市植柳。球磨川と前川の三角州地帯は上流から肥沃な土砂が堆積し、農作物の産地。冬には、土堤にはほし柵をつくり、漬物にする大根を吊した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年01月22日
撮影:1956年1月
大根干し=八代市植柳。球磨川と前川の三角州地帯は上流から肥沃な土砂が堆積