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C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声で出発する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年02月01日
撮影:1954年2月
C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声
草運び=小国町。兄も弟もてんびん棒に草を刺し、斜面も平道も運ぶ。肩にくい込み痛むが我慢して歩く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月11日
撮影:1953年10月
草運び=小国町。兄も弟もてんびん棒に草を刺し、斜面も平道も運ぶ。肩にくい
草運び=小国町。大きなかまで草を刈り、急な斜面を何回もかついで運ぶ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月11日
撮影:1953年10月
草運び=小国町。大きなかまで草を刈り、急な斜面を何回もかついで運ぶ。 (
草刈り休憩の一服=小国町。大きな草刈りがまで牛馬の飼料の牧草を切り、汗を流した後の一服でしばしの憩い (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
草刈り休憩の一服=小国町。大きな草刈りがまで牛馬の飼料の牧草を切り、汗を
草泊まり=小国町。冬の到来前に牛馬の飼料の干し草を作る。阿蘇の高原に寝泊まりし、朝早くから夜遅くまで頑張った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
草泊まり=小国町。冬の到来前に牛馬の飼料の干し草を作る。阿蘇の高原に寝泊
万願寺温泉=南小国町。満願寺温泉一帯では多くの水が湧き、炊事・洗濯などの洗い場が設けられ、年中通してきれいな水が日常生活の中で利用されている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年03月13日
撮影:1953年3月
万願寺温泉=南小国町。満願寺温泉一帯では多くの水が湧き、炊事・洗濯などの
子どもも一緒に野良帰り=白水村。苗上の忙しい時期、田んぼ近くのお寺の保育所にあずけられた子どもは、夕方両親が迎えに来てリヤカーにのって帰る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年03月08日
撮影:1953年3月
子どもも一緒に野良帰り=白水村。苗上の忙しい時期、田んぼ近くのお寺の保育
野菜荒い・万願寺温泉=南小国町。満願寺温泉一帯では野菜や食器が近くの水源から湧くきれいな水で洗われる。別の場所では洗濯も出来る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年03月03日
撮影:1953年3月
野菜荒い・万願寺温泉=南小国町。満願寺温泉一帯では野菜や食器が近くの水源
草千里付近の樹氷=阿蘇町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年02月15日
撮影:1953年2月
樹氷の阿蘇=阿蘇町。草千里付近の樹氷 (麦島勝氏撮影)
阿蘇の草泊まり=小国町。牛馬の飼料となる草を刈るための草泊りが始まると、小中学生は学校を休み父母の手伝いをした。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年10月15日
撮影:1952年10月
阿蘇の草泊まり=小国町。牛馬の飼料となる草を刈るための草泊りが始まると、
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高千穂・延岡方面に行く利用客も多かった。乗客は、九州一高い鉄橋の上から白川峡谷の景観を楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年10月01日
撮影:1951年10月
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高
豊肥本線立野のスイッチバック。白い煙を吐いているのは熊本方面への上り列車=長陽村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月25日
撮影:1951年5月
立野のスイッチバック=長陽村
阿蘇中岳火口壁。すり鉢状の火口壁は幾層もの段があり、噴火の堆積が残っている=阿蘇町。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年04月02日
撮影:1951年4月
阿蘇中岳火口壁=阿蘇町
立野の棚田。豊肥線の列車が進む=瀬田村。立野~赤水間の棚田の中のスイッチ・バックを列車が進む (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年01月01日
撮影:1951年1月
立野の棚田。豊肥線の列車が進む=瀬田村。立野~赤水間の棚田の中のスイッチ
大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑いながら話しかけた。農村ののんびりした原風景だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年12月01日
撮影:1950年12月
大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑