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撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマンの後ろ姿はユーモラスでお尻がぬれないかなと思われシャッターを押した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマン
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデルさんは丸髷姿の芸者さんもいた。県内で第1回目の撮影会であった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデ
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影)
金剛干拓の客馬車。客馬車は県道を走る定期バスと接続し、利用者にも好評だった。当時、新聞、テレビでも紹介され、遠いところから乗りに来る人もあった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。日奈久町の観光馬車を譲り受け、干拓地を走っていた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。高植本町北区の出発から弥次の分校前を過ぎると直線コースで干拓入口に到着。馬車はひづめの音も軽やかに走った=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
入植以来、初めての田植え。牛馬を持っている農家が各区の田を代かきした=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月20日
撮影:1957年6月
入植以来、初めての田植え=八代市の金剛干拓
雨で冠水した水田で、水車を使って排水=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月20日
撮影:1957年6月
雨で冠水した水田で、水車を使って排水=八代市の金剛干拓
金剛干拓の鍬入り式があった午後は、仮設舞台や土俵で「肥後にわか」や女相撲が行われた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月18日
撮影:1957年6月
金剛干拓の鍬入り式後は、仮設舞台や土俵で「肥後にわか」や女相撲
イカダ組み=八代市。木材を伐ったり運んだり、炭を焼いたりなど山の仕事をする人たちを山師といい、県内外の山で働く。木材を運搬するために筏に組み、山の産物を積み込んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月12日
撮影:1957年6月
イカダ組み=八代市
藻切り舟=八代市。八代市高田、催合町から日奈久まで流藻川は四季を通じて「藻」が生えている。田植え前にはエンジンに回転刃を取り付けた「藻切り舟」で川を掃除していた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月02日
撮影:1957年6月
藻切り舟=八代市。八代市高田、催合町から日奈久までの流藻川
次々に出来上がる住宅。オランダの農村風景を思わせる建物にビックリ=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月01日
撮影:1957年6月
次々に出来上がる住宅=八代市
炊事場て夕食の米を洗う主婦=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月01日
撮影:1957年6月
炊事場で夕食の米を洗う主婦=八代市の金剛干拓
金剛干拓の住宅=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月01日
撮影:1957年6月
金剛干拓の住宅=八代市 (麦島勝氏撮影)
ミス農村コンテスト=人吉市。市制15周年の温泉祭に沸く人吉城内での公開審査で、各地区からミス候補が出場し、応援や見物の人でにぎわった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年05月11日
撮影:1957年5月
ミス農村コンテスト=人吉市。市制15周年の温泉祭に沸く人吉城内での公開審