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優勝を決め抱き合う熊本工の選手たち=藤崎台県営野球場 撮影日:平成21年07月30日
撮影:2009年7月
優勝を決め抱き合う熊本工の選手たち=藤崎台県営野球場
第43回全国高校野球熊本県大会の開会式 選手宣誓する熊本商の田中主将=熊本市宮内の県営藤崎台球場 撮影日:昭和36年07月20日
撮影:1961年7月
第43回全国高校野球熊本県大会の開会式 選手宣誓する熊本商の
第42回夏の甲子園、熊本商チーム西宮着=西宮市の国鉄西宮駅
撮影:1960年8月
第42回夏の甲子園、熊本商チーム西宮着=西宮市の国鉄西宮駅
夏の甲子園、県大会開会式=熊本市の水前寺球場
撮影:1960年7月
夏の甲子園、県大会開会式=熊本市の水前寺球場
夏の甲子園 鎮西チーム出発=熊本市春日町の国鉄熊本駅
撮影:1959年8月
夏の甲子園 鎮西チーム出発=熊本市春日町の国鉄熊本駅
昭和33年4月 センバツ優勝の済々黌 ※写真集・熊本100年より
撮影:1958年4月
昭和33年4月 センバツ優勝の済々黌 ※写真集・熊本100年より
済々黌が選抜高校野球で優勝 昭和33年の第30回選抜高校野球大会。済々黌は決勝で愛知県の中京商業を7―1で破り優勝。選抜優勝旗が始めて関門海峡を渡り、県民を熱狂させた。
済々黌ナインが熊本駅に到着すると、駅前は2万人のファンで埋まった。優勝パレードの沿道には20万人もの人が駆け付けたという。当時の熊本市民は35万5千人、市民のフィーバーぶりがしのばれる。
済々黌野球部監督だった木村茂さん(故人)は「花束ぐらいもらえるかな、と思っていたら、駅は人の波。列車から出られない状態で、食堂の窓から歓声にこたえました。感無量でしたね」と振り返る。=熊本市 (昭和史アルバム・熊本50年より) 撮影日:1958年4月
撮影:1958年4月
済々黌が”センバツ”で優勝 市民の歓迎=熊本市 (昭和史アル
センバツ出場決まる 済々黌ナイン=熊本市黒髪町
撮影:1958年1月
センバツ出場決まる 済々黌ナイン=熊本市黒髪町
夏の甲子園県大会 降雨のため中断。マウンドにブルーシートをかける多良木、熊本工両チームのナイン=熊本市の藤崎台県営野球場 撮影日:平成17年07月12日
撮影:2005年7月
夏の甲子園県大会 降雨のため中断。マウンドにブルーシートをかける球児たち
夏の甲子園県大会 どしゃぶりのグラウンドを見つめる蘇陽高校ナイン=八代市の県営八代野球場 撮影日:平成17年07月10日
撮影:2005年7月
夏の甲子園県大会 どしゃぶりのグラウンドを見つめる蘇陽高校ナイン=八代市
声も動作も大きく、周囲を納得させるジャッジを。夏の甲子園予選本番前に開かれた審判講習会=熊本市の藤崎台県営野球場 撮影日:平成17年06月12日
撮影:2005年6月
夏の甲子園予選本番前に開かれた審判講習会
第86回全国高校野球選手権熊本大会開会式 整列後、一斉に行進する選手たち=熊本市の藤崎台県営野球場 撮影日:平成16年07月07日
撮影:2004年7月
第86回全国高校野球選手権熊本大会開会式 整列後、一斉に行進する選手たち
第76回選抜高校野球大会 センバツ出場が決まり、喜ぶ熊本工ナイン=熊本市の熊本工業高校グラウンド 撮影日:平成16年01月30日
撮影:2004年1月
第76回選抜高校野球大会 センバツ出場が決まり、喜ぶ熊本工ナ
熊本工、夏の甲子園悲願の初優勝ならず 平成8年の第78回全国高校野球選手権大会決勝で、熊工は愛媛県代表の松山商業と対戦。1点リードされた9回裏2死から、澤村選手のホームランで追いつき延長戦へ。10回裏1死満塁、本多選手のライトへの飛球で誰もが優勝を確信したが、松山商・矢野選手の奇跡的なバックホームで星子選手はタッチアウト。試合は延長11回、6―3で松山商が勝った。両チームの死闘は「平成の名勝負」として今も高校野球ファンの胸に残っている。 撮影日:1996/8/21
撮影:1996年8月
第78回全国高校野球選手権決勝・熊本工―松山商 本塁上でのクロスプレー
第47回全国高校野球選手権熊本大会の開会式=熊本市の藤崎台球場 撮影日:昭和40年07月17日
撮影:1965年7月
第47回全国高校野球選手権熊本大会の開会式=熊本市の藤崎台球場