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昭和38年 あまつけ丸と杉本定治船長=牛深市の天附港 ※天草市牛深町の杉
昭和38年 牛深市(現天草市)の下須島・天附の港に浮かぶ渡船「あまつけ丸」と写真提供の杉本定治船長。島と牛深港間でお客を運んだ。船は通天橋架橋後も利用され、今も現役で頑張っている=牛深市の天附港

撮影:1963年1月

昭和38年 あまつけ丸と杉本定治船長=牛深市の天附港 ※天草市牛深町の杉

昭和30年 天草産業観光博覧会 会場でお客さんを待つ馬車=本渡市の本渡港
昭和30年 天草産業観光博覧会 会場でお客さんを待つ馬車=本渡市の本渡港埋立地 ※八代市大村町の川上正英さん提供

撮影:1955年1月

昭和30年 天草産業観光博覧会 会場でお客さんを待つ馬車=本渡市の本渡港

2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町
2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町(写真2枚をつないで合成)   撮影日:平成21年08月11日

撮影:2009年8月 掲載日:2009-08-29

2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町

三角西港入り口付近の国道カーブ=宇土郡三角町
三角西港入り口付近の国道カーブ=宇土郡三角町   撮影日:昭和40年08月03日

撮影:1965年8月

三角西港入り口付近の国道カーブ=宇土郡三角町

昭和37年4月 千巌山を訪れた地区子供会=天草郡松島町 ※上天草市大矢野
昭和37年4月 遠足で松島町(現上天草市)の千巌山を訪れた大矢野町(同)豊後谷地区の子供会「白鳩会」。江樋戸港から船を貸し切り合津港に渡った=天草郡松島町 ※上天草市大矢野町の川端高則さん提供

撮影:1962年4月

昭和37年4月 千巌山を訪れた地区子供会=天草郡松島町 ※上天草市大矢野

昭和40年代前半の湯堂。港の改修が終わった直後=水俣市(水俣
昭和40年代前半の湯堂。港の改修が終わった直後=水俣市(水俣病関連)

撮影:1986年2月

昭和40年代前半の湯堂。港の改修が終わった直後=水俣市(水俣

昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう栃錦=天草郡倉岳町 ※天
昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう横綱栃錦。「栃若時代」全盛のころ。港へ向かう関取に村民がぞろぞろついて歩き、大変な賑わいだったという=天草郡倉岳村 ※天草市倉岳町の梅戸吉伸さん提供

撮影:1956年12月

昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう栃錦=天草郡倉岳町 ※天

昭和27年10月、日奈久港 竹かごいっぱいの“収穫”を天秤棒で運ぶ女性
昭和27年10月、日奈久港 竹かごいっぱいの“収穫”を天秤棒で運ぶ女性=八代市日奈久町 ※熊本市島崎の茂村進二さん提供

撮影:1952年10月

昭和27年10月、日奈久港 竹かごいっぱいの“収穫”を天秤棒で運ぶ女性

昭和35年夏 近所の仲間と弓ヶ浜に海水浴=天草郡大矢野町
昭和35年夏 大矢野町(現上天草市)弓ケ浜の海岸に並ぶ、写真提供の村上さんの家族と近所の人たち。天草五橋はまだなく、一行は三角港から船で渡った=天草郡大矢野町 ※菊池市七城町の村上秀之さん提供

撮影:1960年8月

昭和35年夏 近所の仲間と弓ヶ浜に海水浴=天草郡大矢野町

昭和32年7月 戸馳島行きの渡船。出発を待つ乗客=宇土郡三角町の三角港 
【熊日思い出賞】昭和32年7月 戸馳島行きの渡船。出発を待つ乗客=宇土郡三角町の三角港 ※合志市豊岡の森本利秋さん提供

撮影:1957年7月

昭和32年7月 戸馳島行きの渡船。出発を待つ乗客=宇土郡三角町の三角港 

昭和28年ごろの三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える=宇土郡三角町
昭和28年ごろの夏の三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える。港の桟橋から=宇土郡三角町 ※上天草市大矢野町の川上力さん提供

撮影:1953年8月

昭和28年ごろの三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える=宇土郡三角町

波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市
くまもと建築遺跡めぐり・烏帽子坑 煙が出ない高品質の「無煙炭」として日本海軍の軍艦燃料に重宝され、明治から大正時代に最盛期を迎えた天草地方の炭田。当時の面影を現在に伝えるのが、天草市牛深町下須島沖の「烏帽子(えぼし)坑」の坑口跡だ。
牛深町宮崎の漁港から船で約10分ほど下須島の西海岸沿いを航行、陸地から約200メートルの海上に坑口を開けた烏帽子坑が浮かんでいた。坑口から坑道が海の中へと傾斜して曲線を描く形は、海上に鎮座する獅子の背中にも見えた。
烏帽子坑は1897(明治30)年、天草炭業が開坑。無煙炭を軍事用に採掘したが、排水の処理がうまくいかなかったため、数年後に閉坑となった。坑口は縦横2メートルで5層の赤レンガと砂岩を組み合わせている。背後に、岩礁を利用した石組みの防波堤(長さ50メートル、高さ6メートル)があり、坑口を守っている。
天草地方の炭鉱で働いていた地元の高齢者は「劣悪な労働条件で、つらい思い出もあるが、天草の炭鉱の歴史を後世に伝えるためにも残してほしい」と話した。打ち寄せる波に襲われながら立ち続けてきた烏帽子坑の姿は、そんな声に必死に応えようとしているようだった。=天草市牛深町の下須島沖   撮影日:平成18年07月14日

撮影:2006年7月

波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市

本渡港のしゅんせつ工事=本渡市
本渡港のしゅんせつ工事=本渡市

撮影:1958年12月

本渡港のしゅんせつ工事=本渡市

力を合わせてペーロン艇を進める坂瀬川地区の住民ら=苓北町の坂瀬川漁港
力を合わせてペーロン艇を進める坂瀬川地区の住民ら=苓北町の坂瀬川漁港   撮影日:平成21年08月14日

撮影:2009年8月 掲載日:2009-08-15

力を合わせてペーロン艇を進める坂瀬川地区の住民ら=苓北町の坂瀬川漁港

第39回天草五橋祭 どらの音に合わせオールをこぎ白龍船を走ら
第39回天草五橋祭 どらの音に合わせオールをこぎ白龍船を走らせる参加者=上天草市松島町の合津港沖

撮影:2005年9月

第39回天草五橋祭 どらの音に合わせオールをこぎ白龍船を走ら

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