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明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学
町名小史・黒髪町 熊本大学の森に今も明治のかおりを残す旧五高の赤レンガ。へい衣破帽の竜南健児に代わってキャンパスでは現代の若者たちが語り合う。北側には緑が美しい立田山、時代が変わっても、文教都市熊本の特徴的風景がここにはある。“立田山から飛び立つ鳥は、鳥は鳥でも天下鳥(取り)”とか“立田・五高は不思議なところ、月が照るのに雨が降る”など、学生たちは放歌高吟した。明治29年、四国・松山中学から五高に赴任してきた夏目漱石は上熊本駅から人力車で京町台を下りながら、立田山方面を見てつぶやいた「ああ森の都だ」。この立田山の山ろくに広がる古い町並みが黒髪町。写真は明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学   撮影日:平成17年12月05日

撮影:2005年12月

明治20年の建物が現存する五高記念館=熊本市の熊本大学

校歌を歌いながらダイコン踊りを披露する3年生=熊本市の熊本農業高校
校歌を歌いながらダイコン踊りを披露する3年生=熊本市の熊本農業高校   撮影日:平成21年09月12日

撮影:2009年9月 掲載日:2009-09-13

校歌を歌いながらダイコン踊りを披露する3年生=熊本市の熊本農業高校

それぞれの思いを短歌にまとめ、立志式で発表する田浦中の生徒たち=芦北町
それぞれの思いを短歌にまとめ、立志式で発表する田浦中の生徒たち=芦北町の田浦中学校   撮影日:平成17年02月25日

撮影:2005年2月

それぞれの思いを短歌にまとめ、立志式で発表する田浦中の生徒たち=芦北町

昭和41年10月 エレキブーム。ギターは箒、剪定の枝をマイク代わり歌う子
昭和41年10月 エレキブーム。ギターは箒、剪定の枝をマイク代わり歌う子どもたち=熊本市内 ※熊本市神水本町の光永一三さん提供

撮影:1966年10月

昭和41年10月 エレキブーム。ギターは箒、剪定の枝をマイク代わり歌う子

映画”恋がいっぱい九州路”ロケで水前寺公園を訪れた美空ひばりさん=熊本市
映画”恋がいっぱい九州路”ロケで水前寺公園を訪れた美空ひばりさん=熊本市   撮影日:昭和37年03月28日

撮影:2004年4月

映画”恋がいっぱい九州路”ロケで水前寺公園を訪れた美空ひばりさん=熊本市

昭和30年ごろ 歌手・雪村いずみさんとファン 文化堂レコード店内=熊本市
昭和30年ごろ 熊本市の文化堂レコード店を訪れた歌手・雪村いずみさん。店内にはたくさんのファンが押し掛けた。18歳ごろの彼女の当時のヒット曲は「チャチャチャは素晴らしい」など=熊本市下通 ※下益城郡富合町の櫛山毅一さん提供

撮影:1955年1月

昭和30年ごろ 歌手・雪村いずみさんとファン 文化堂レコード店内=熊本市

昭和3年ごろ 尾道市の三軒家幼稚園の園児たち。オルガンに合わせて歌の練習
昭和初期の幼稚園の風景 オルガンに合わせて歌の練習をする、尾道市の三軒家幼稚園の園児たち。当時は幼稚園に通う子は少なかった=広島県尾道市 ※合志市豊岡の朝吹孝文さん提供

撮影:1928年1月

昭和3年ごろ 尾道市の三軒家幼稚園の園児たち。オルガンに合わせて歌の練習

牛深ハイヤ祭りフィナーレの総踊りで元気よく踊る牛深高郷土芸能
牛深ハイヤ祭り 漁港・牛深は古くから海上交通の中継基地であった。南風が吹くと海が荒れ、風がおさまるまで多くの船が寄港した。船乗りたちは長い航海のストレスを飲めや歌えで解消し、再び出港した。南風をハエと言い、それが訛(なま)って歌の「ハイヤ節」になったのが江戸後期。踊りは三味線や太鼓のリズムに乗って自由に踊っていた。
昭和36(1961)年ごろ観光用に振り付けしたのが今のハイヤ踊り。祭りは多くの参加者で終日にぎわう。=天草市牛深町のハイヤ通り  撮影日:2006年04月16日

撮影:2006年4月

牛深ハイヤ祭りフィナーレの総踊りで元気よく踊る牛深高郷土芸能

町PRビデオに北原白秋作詞の校歌 カメラが回る中、校歌を歌う
町PRビデオに北原白秋作詞の校歌 カメラが回る中、校歌を歌う南関第一小学校の6年生=玉名郡南関町   撮影日:平成16年01月29日

撮影:2004年1月

町PRビデオに北原白秋作詞の校歌 カメラが回る中、校歌を歌う

”RKK歌のチャンピオン”公開録音のステージ=阿蘇郡小国町
”RKK歌のチャンピオン”公開録音のステージ=阿蘇郡小国町   撮影日:昭和37年09月24日

撮影:1962年9月

”RKK歌のチャンピオン”公開録音のステージ=阿蘇郡小国町

東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町
町名小史・二本木町 「祇園山(花岡山)から二本木見れば、自由廃業でなんとしょ、金はなかしま家も質(楼主中島茂七)、東雲(しののめ)のストライキ、さい(帳場斎藤)とはつらいね、てなことおっしゃいましたかね」-の歌で知られる遊郭地帯だった。明治32年、東雲楼の遊女たちが自由廃業届けの挙にでた。結局は遊女側の敗北に帰したが、この東雲節で、二本木の名は一躍有名になった。二本木には平安時代に「二本木国府」が置かれた。地名の起源は、国府鎮護の護国寺の裏門近くに二本の木があったから、という説がある。明治4年の廃藩置県による県庁が古府中の二本木に新築され「白川県庁」と称していた。明治9年2月「熊本県」の改定とともに「古城」内に移転。白川公園、行幸町、出水町今(現・水前寺6丁目)と四転した。写真は東雲楼屋敷跡。さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町   撮影日:昭和34年8月19日

撮影:1959年8月

東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町

昭和17年ごろ 古城村産業組合の米倉庫建設。地づきの記念写真=阿蘇郡古城
昭和17年ごろ 戦時中、古城村産業組合の米倉庫を造るため地づきが行われた。女性が中心になって、お年寄りの歌に合わせて地づきをした=阿蘇郡古城村(現阿蘇市) ※合志市幾久富の寺本伊文さん提供

撮影:1942年1月

昭和17年ごろ 古城村産業組合の米倉庫建設。地づきの記念写真=阿蘇郡古城

昭和10年9月 ラジオ放送出演記念。隈府小講堂で=菊池郡隈府町
昭和10年9月 ラジオ放送出演記念。隈府小講堂で。写真提供の松永さんの姉(当時水源小6年)がラジオ放送で満州国国歌を歌った=菊池郡隈府町(現菊池市) ※熊本市清水の松永篤子さん提供

撮影:1935年9月

昭和10年9月 ラジオ放送出演記念。隈府小講堂で=菊池郡隈府町

シジュウカラのひな鳥 峠の茶屋公園資料館の詩歌投稿箱=熊本市
シジュウカラのひな鳥 峠の茶屋公園資料館の詩歌投稿箱=熊本市   撮影日:平成17年06月22日

撮影:2005年6月

シジュウカラのひな鳥 峠の茶屋公園資料館の詩歌投稿箱=熊本市

RKK歌のコンテスト公開録音=玉名市の玉名中学校体育館
RKK歌のコンテスト公開録音=玉名市の玉名中学校体育館   撮影日:昭和40年03月13日

撮影:1965年3月

RKK歌のコンテスト公開録音=玉名市の玉名中学校体育館

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