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昭和34年 国鉄豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り
昭和34年 国鉄(現JR)豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り。左前方には熊本名物だった熊本製糸の工場の煙突も見える=熊本市出水町 ※熊本市秋田町の稲葉光男さん提供

撮影:1959年1月

昭和34年 国鉄豊肥線の水前寺ガードから見た大江、味噌天神方面の市電通り

昭和30年代 新堀橋下の市電=熊本市新堀町 ※熊本市池田の井上司朗さん提
【部門賞 乗り物】昭和30年代 新堀橋下の市電=熊本市新堀町 ※熊本市池田の井上司朗さん提供

撮影:1955年1月

昭和30年代 新堀橋下の市電=熊本市新堀町 ※熊本市池田の井上司朗さん提

国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市
国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市   撮影日:昭和37年08月16日

撮影:2004年6月

国鉄熊本駅の駅前広場と市電通り。右手に春日町商店街=熊本市

通りには縁日コーナーも設けられ、にぎわった城下町くまもとゆかた祭
町名小史・上通町 昭和40年4月、以前の上通町、桜井町、長安寺町の大部分と、手取本町、黒鍬町、城東町、上林町、一本竹町、草葉町の一部を集めて上通町となった。
この通りは池田・西里方面にの延び、地図上で上に延びていたので「上通り」と呼ばれた。
一方、木山街道に延びる通りが下になるので「下通り」となった。
旧藩時代は下級武士の屋敷地帯で裏通りには小者(もの)の家が密集していた。西南の役で全焼した頃は120戸、800人ほどの町だったという。
大正13年の市電開通で一気に商業の中心地となる。上通は五高生の町でもあった。七高(鹿児島)との野球試合の後は、デモンストレーションがこの通りを大きく流れ、看板をはがしたり、ガラスを割ったりしたというが、町民たちは「学生さんのことだから」と、笑って済ました。   撮影日:2005/07/16

撮影:2005年7月

通りには縁日コーナーも設けられ、にぎわった城下町くまもとゆかた祭

市街地を通るバスと路面電車=熊本市
熊本市電 路面電車は「環境にやさしい乗り物」と注目される一方で、全国的に乗客の減少がみられる。その中で、熊本市交通局は全国で初めて冷房車や超低床電車を導入、ラッシュ時には2、3分おきに運行するなど工夫を重ね、健闘してきた。
昭和30年代には現在の2路線のほかに、川尻線、広町線、南熊本線、子飼橋線があり、市民に愛された。
熊本市電の開業は大正13年8月1日。早朝5時、第一号電車が新装の大江車庫を走り出した。「次は味噌天神、味噌天神でありまーす。お降りの方はお忘れ物のなきようお仕度くださーい」。若い車掌さんは慣れぬ手つきで切符にハサミを入れた。
以降終日、市電は超満員で、停留所で待っても乗れない電車にゴウをにやした市民は「お急ぎの方はどうぞお歩き下さい」・・・。これが市電開業当初の流行語だった。
開業当時の営業区間は、熊本駅―浄行寺、水道町―水前寺の2路線だった。写真は市街地を通るバスと路面電車=熊本市   撮影日:平成17年09月05日

撮影:2005年9月

市街地を通るバスと路面電車=熊本市

一新校区の街並み=熊本市新町
町名小史・新町 新町は加藤清正がつくった“新市街”である。清正は都市計画の中で侍町と町人町に分けた。町人町は、飽田国府(二本木町)の商家を移して城の正面(西側)に建設、これを新町と呼んだ。清正の新城下町づくりでできた町には、住民の職業で付けられた町名が多い。後年の細川藩時代の記録によると、新町一帯は新魚屋町、新馬借町、新桶屋町、桧物(ひもの)屋町、塩屋町、新鳥屋町、瓶(つかめ)屋町、上・中・下職人町、新細工町のほか、清正の朝鮮の役ゆかりの蔚山町、高麗門の名がみえる。
昭和40年11月、従来の職業を付した町名は改正され、新町1丁目から4丁目までにかわった。   撮影日:2004/06/22

撮影:2004年6月

一新校区の街並み=熊本市新町

バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市
バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市   撮影日:平成16年06月19日

撮影:2004年6月

バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市

熊本市の中心市街地で開かれている「ストリート・アートプレックス」
町名小史・下通 上通と新市街を結ぶタテの線と、東部から市中に入る安巳橋通りがヨコに交差する地の利を得て、商店街が生まれた。大正13年の市電開通と、戦災後の衣替えで、上通と肩を並べる街に発展した。
昭和40年4月の町名変更で、下通町、相撲町、光琳寺町の大部分、上・下追廻田畑町、鷹匠町、駕町、楠町、手取本町の一部が「下通1丁目」。仲間町、西岸寺町の全域、下通町、五十人組町、知足寺町、の大部分、楠町、新鍛冶屋町の一部が「下通2丁目」になった。
上・下追廻田畑町には馬追い回しの調練場と藩の試作田畑があった。仲間町、五十人組町、駕町は城下町当時、仲間や小者(もの)五十人、お駕(かご)衆といった人たちの団地だったが、町名は消えた。   撮影日:2005/08/06

撮影:2005年8月

熊本市の中心市街地で開かれている「ストリート・アートプレックス」

このほど発売された熊本市電超低床電車9700形の鉄道模型
このほど発売された熊本市電超低床電車9700形の鉄道模型   撮影日:平成16年06月30日

撮影:2004年6月

このほど発売された熊本市電超低床電車9700形の鉄道模型

「父の日」に合わせて熊本市電の車内に飾られたバラ=熊本市水道町
「父の日」に合わせて熊本市電の車内に飾られたバラ=熊本市水道町   撮影日:平成17年06月18日

撮影:2005年6月

「父の日」に合わせて熊本市電の車内に飾られたバラ=熊本市水道町

熊本市電で初めて導入されたセンターポール=熊本市春日1丁目
熊本市電で初めて導入されたセンターポール。電車の上下線の間にポールが設けられている=熊本市春日1丁目   撮影日:平成17年01月19日

撮影:2005年1月

熊本市電で初めて導入されたセンターポール=熊本市春日1丁目

熊本市電80周年 橋脚が減りコンクリート橋になった大甲橋を、今も市電が渡
熊本市電80周年 橋脚が減りコンクリート橋になった大甲橋を、今も市電が渡る=熊本市   撮影日:平成16年08月03日

撮影:2004年8月

熊本市電80周年 橋脚が減りコンクリート橋になった大甲橋を、今も市電が渡

昭和33年ごろ 水撒きをする母を父が撮影。遠景は飯田山=熊本市健軍町の市
昭和33年ごろ 水まきをする母を父が撮影。遠方に飯田山が見える=熊本市健軍町の市電健軍校前電停付近 ※熊本市健軍の森田敬二郎さん提供

撮影:1955年8月

昭和33年ごろ 水撒きをする母を父が撮影。遠景は飯田山=熊本市健軍町の市

走る熊本市電の車内で「雪女」の芝居を見せた「市電劇場2~怪談編~」
走る熊本市電の車内で「雪女」の芝居を見せた「市電劇場2~怪談編~」   撮影日:平成21年08月16日

撮影:2009年8月 掲載日:2009-08-18

走る熊本市電の車内で「雪女」の芝居を見せた「市電劇場2~怪談編~」

126・26熊本大水害 市電代行のバスに長蛇の列=熊本市水道町
126・26熊本大水害 市電代行のバスに長蛇の列=熊本市水道町

撮影:1953年7月

126・26熊本大水害 市電代行のバスに長蛇の列=熊本市水道町

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