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RKK歌のカクテルパーティー=熊本市内
撮影:1955年5月
RKK歌のカクテルパーティー=熊本市内
前進座25周年記念公演「西鶴置土産」=熊本市練兵町の歌舞伎座
撮影:1955年4月
前進座25周年記念公演「西鶴置土産」=熊本市練兵町の歌舞伎座
昭和30年ごろ 熊本市の文化堂レコード店を訪れた歌手・雪村いずみさん。店内にはたくさんのファンが押し掛けた。18歳ごろの彼女の当時のヒット曲は「チャチャチャは素晴らしい」など=熊本市下通 ※下益城郡富合町の櫛山毅一さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年ごろ 歌手・雪村いずみさんとファン 文化堂レコード店内=熊本市
松橋町歌里の国道筋=下益城郡松橋町
撮影:1954年11月
松橋町歌里の国道筋=下益城郡松橋町
五木の子守唄歌碑除幕式=人吉市の人吉城跡
撮影:1954年10月
五木の子守唄歌碑除幕式=人吉市の人吉城跡
町名小史・迎町 長六橋東南一帯。南部から城下へ入る地点で、薩摩藩の参勤交代のさいも、この迎町に宿を取った。南部からの客を迎え入れることから「迎町」の名になったといわれる。清正は城の防衛上、白川の一線を防衛線とした。その左岸にはいっさい市街の展開を行わず、橋は長六橋一カ所とした。慶長6年に架けられたので、長六橋と付けられたという。迎町はこの長六橋とともに栄えた。「花の熊本 長六橋から眺むれば オヤ ポンポコニャ 下は白川 両芝居 少し下がれば 本山渡し舟」と歌われ、一帯は町民のお楽しみ地帯だった。写真はズボンをまくって白川を渡る子どもたち=熊本市の長六橋下流 撮影日:昭和29年6月4日
撮影:1954年6月
ズボンをまくって白川横断=熊本市の長六橋下流
ラジオ熊本公開録音「歌のアマチュア歌謡まつり」=熊本市下通の大洋デパート
撮影:1954年4月
ラジオ熊本公開録音「歌のアマチュア歌謡まつり」=熊本市下通の
火の国まつり 五木の子守歌を踊る子どもたち=熊本市の花畑公園
撮影:1954年3月
火の国まつり 五木の子守歌を踊る子どもたち=熊本市の花畑公園
吉田司家主催、和歌山商高招待高校相撲大会の熱戦=熊本市北千反畑町の吉田司家土俵
撮影:1954年3月
吉田司家主催、和歌山商高招待高校相撲大会の熱戦=熊本市北千反
ラジオ熊本公開録音 彦しゃんおても歌くらべ=鹿本郡山鹿町小学校
撮影:1954年2月
ラジオ熊本公開録音 彦しゃんおても歌くらべ=山鹿町小学校
第7回NHKのど自慢全国コンクール熊本県決勝大会=八代市内
撮影:1954年1月
第7回NHKのど自慢全国コンクール熊本県決勝大会=八代市内
日奈久の石桟敷=八代市。日奈久温泉神社境内には、参道の斜面に階段状に石の桟敷席が設けられ、相撲や歌や踊りなど、いろんなイベントに利用されている。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年03月15日
撮影:1953年3月
日奈久の石桟敷=八代市。日奈久温泉神社境内には、参道の斜面に階段状に石の
豊作祈願の火渡り=阿蘇町。この田に幸あれとしばしご婦人連によるゴエイ歌が奏せられる (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年04月15日
撮影:1950年4月
豊作祈願の火渡り=阿蘇町。この田に幸あれとしばしご婦人連によるゴエイ歌が
昭和17年ごろ 戦時中、古城村産業組合の米倉庫を造るため地づきが行われた。女性が中心になって、お年寄りの歌に合わせて地づきをした=阿蘇郡古城村(現阿蘇市) ※合志市幾久富の寺本伊文さん提供
撮影:1942年1月
昭和17年ごろ 古城村産業組合の米倉庫建設。地づきの記念写真=阿蘇郡古城
昭和10年9月 ラジオ放送出演記念。隈府小講堂で。写真提供の松永さんの姉(当時水源小6年)がラジオ放送で満州国国歌を歌った=菊池郡隈府町(現菊池市) ※熊本市清水の松永篤子さん提供
撮影:1935年9月
昭和10年9月 ラジオ放送出演記念。隈府小講堂で=菊池郡隈府町