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砂遊びの子どもたち=水俣市の湯の児海岸
撮影:1958年7月
砂遊びの子どもたち=水俣市の湯の児海岸
地引き網=芦北郡芦北町の鶴木海岸
撮影:1958年6月
地引き網=芦北郡芦北町の鶴木海岸
連休の潮干狩り=宇土郡宇土町の住吉海岸
撮影:1958年5月
連休の潮干狩り=宇土郡宇土町の住吉海岸
海岸に並んだイワシかご=牛深地方
撮影:1958年4月
海岸に並んだイワシかご=牛深地方
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路。引越しで、座敷から釣り竿を出していた住み慣れた家はからっぽになった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和33年04月05日
撮影:1958年4月
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路
済々黌が選抜高校野球で優勝 昭和33年の第30回選抜高校野球大会。済々黌は決勝で愛知県の中京商業を7―1で破り優勝。選抜優勝旗が始めて関門海峡を渡り、県民を熱狂させた。
済々黌ナインが熊本駅に到着すると、駅前は2万人のファンで埋まった。優勝パレードの沿道には20万人もの人が駆け付けたという。当時の熊本市民は35万5千人、市民のフィーバーぶりがしのばれる。
済々黌野球部監督だった木村茂さん(故人)は「花束ぐらいもらえるかな、と思っていたら、駅は人の波。列車から出られない状態で、食堂の窓から歓声にこたえました。感無量でしたね」と振り返る。=熊本市 (昭和史アルバム・熊本50年より) 撮影日:1958年4月
撮影:1958年4月
済々黌が”センバツ”で優勝 市民の歓迎=熊本市 (昭和史アル
金剛地崎の不知火海に面した堤塘=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和33年01月10日
撮影:1958年1月
金剛地崎の不知火海に面した堤塘=八代市 (麦島勝氏撮影)
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路jpg (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路jpg (麦島勝氏撮影)
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路。布団などの寝具は水に濡れないように注意し、丁寧に積み込む (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路。布団などの寝具は水に濡れないように注
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路。親から使用していた風呂釜。子供時代の思い出もあり大切に持っていく (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町海路。親から使用していた風呂釜
茅刈り=八代市金剛。球磨川が八代海にそそぐ河口一帯は2メートル以上の茅が生えていた。漁に出入する船の障害にもなり、秋には伐り出され畜舎の屋根など珍重された (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月11日
撮影:1957年11月
茅刈り=八代市金剛。球磨川が八代海にそそぐ河口一帯は2メートル以上の茅が
海上自衛隊音楽隊パレード=熊本市手取本町
撮影:1957年9月
海上自衛隊音楽隊パレード=熊本市手取本町