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066・26熊本大水害 坪井川船場橋の流木=熊本市新町
撮影:1953年6月
066・26熊本大水害 坪井川船場橋の流木=熊本市新町
066・26熊本大水害 水浸しの坪井川船場橋周辺=熊本市西辛島町
撮影:1953年6月
066・26熊本大水害 水浸しの坪井川船場橋周辺=熊本市西辛島町
昭和28年6月27日 熊本大水害。街中に流れ込んだ水=熊本市船場一帯 ※熊本市上熊本の飛松洋三さん提供
撮影:1953年6月
昭和28年6月27日 熊本大水害。街中に流れ込んだ水=熊本市
砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八代に堆積する。砂利は、サイズ別にふるい分けられ「ダンベ船」で各地に運んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年07月14日
撮影:1951年7月
砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八
金剛干拓の堤塘工事。堤汐止の堤塘工事用の砂利、砂、セメント、型枠などはダンベ船で運ばれた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月01日
撮影:1951年5月
金剛干拓の堤塘工事=八代市
ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂利をとり「ダンベ船」という大きな船に積み、各地に運搬。球磨川の丸石として珍重された (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年10月01日
撮影:1950年10月
ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)で海水浴の帰りには、新鮮な魚を買った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年08月30日
撮影:1950年8月
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)
洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨でも水浸しになり、自動車は船が通る様に波を切って走る。子どもたちは、トラックやバスに追いすがって遊んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年06月25日
撮影:1950年6月
洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨
金剛干拓の杭打ち船。舟二艘を中央部を開けて連結し、堤塘工の基礎に松の丸太のくいを打ち込む=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年03月10日
撮影:1950年3月
金剛干拓の杭打ち船
御船川眼鏡橋=御船町。昭和63年5月3日から4日にかけて九州中西部を襲った豪雨の被害で流されてしまった。東陽村の種山石工が製作したもので、文化財にも指定されていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年07月05日
撮影:1948年7月
御船川眼鏡橋=御船町。昭和63年5月3日から4日にかけて九州中西部を襲っ
昭和23年夏 芦北造船所での進水式。従業員と社宅内の子どもたちも参加=旧水俣町日当水俣川河口 ※熊本市小峯の舩崎三義さん提供
撮影:1948年7月
昭和23年夏 芦北造船所での進水式。従業員と社宅内の子どもたちも参加=旧水俣町日当水俣川河口 ※熊本市小峯の舩崎三義さん
砂利採り=八代市。船を使って砂利採り (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年01月01日
撮影:1948年1月
砂利採り=八代市。船を使って砂利採り (麦島勝氏撮影)
昭和21年3月 県立商業学校(現熊本商業高校)の卒業記念。写真提供の清田さんら同校生は昭和19年6月から終戦直前まで、三菱重工業長崎造船所に動員された。船の模型は清田さんらも建造に携わった「油槽船」=熊本市神水町 ※熊本市日吉の清田博さん提供
撮影:1946年3月
昭和21年3月 熊本商業学校の卒業記念=熊本市神水町
昭和21年ごろ 巾着網船の出漁=牛深沖 ※写真集・熊本100年より
撮影:1946年1月
昭和21年ごろ 巾着網船の出漁=牛深沖 ※写真集・熊本100年より
昭和20年10月 復員船の入港=博多港 ※写真集・熊本100年より
撮影:1945年9月
昭和20年10月 復員船の入港=博多港 ※写真集・熊本100年より