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舟おろし。新造船の「進水式」には大人も子供も一緒になって近くの海岸まで舟を運んだ=本渡市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年07月25日
撮影:1956年7月
舟おろし=本渡市。新造船の「進水式」
天草の暮らし=河浦町。美しい崎津の海岸が近くの道で、通行人に好々爺が語りかけてきた。洗濯するおばあさんの姿もなつかしい (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年02月05日
撮影:1956年2月
天草の暮らし=河浦町。美しい崎津の海岸が近く
大江湖網開き。9月中旬の農閑期になると、海と背中合わせの大江湖では「網びらき」が行われる=鏡町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月17日
撮影:1955年9月
大江湖網開き=鏡町
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海。土地の言葉で遊水地を「ダブ」と呼び、年一回「ダブ攻め」という網開きが行われ、大きなボラや鯉、フナなどが捕れる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海
牛深の海女たち=牛深市 撮影日:昭和30年07月28日
撮影:1955年7月
掲載日:2012-08-16
くまもと昭和を歩く29 牛深の海女たち=牛深市
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒」を突っ込み泥を捏ねあげる。窪みに入った女たちは腰まで浸かり「ザル」を使い「シャク」を掬いあげた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒
八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの共同作業だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少し下流で採取した「寒ノリ」は家で水洗し、葦で作ったミスに広げて日当たりの良い屋根の上で乾燥させる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年03月05日
撮影:1955年3月
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少
乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッカとひづめの音を響かせて、静かな街角を走った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月03日
撮影:1955年1月
乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッ
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟に乗って遊んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月15日
撮影:1954年9月
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟
入植宅地での建築がはじまるのに排水路が未完成な所もあり、人海戦術で頑張って作業した。右上の山は大鼠蔵山=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月10日
撮影:1954年9月
入植宅地の排水路工事=八代市の金剛干拓
航海の準備=八代市。遠洋航海に出発するので漁具の用意に忙しい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月10日
撮影:1953年10月
航海の準備=八代市。遠洋航海に出発するので漁具の用意に忙しい。 (麦島勝
木材置き場=八代市。八代には製材工場や製紙会社が多く、チップに木材が大量に使用される。港湾設備と木材置場に使用するため、海水浴場の白島附近の海が埋められ、姿を変えた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年10月02日
撮影:1951年10月
木材置き場=八代市。八代には製材工場や製紙会社が多く、チップに木材が大量
神前結婚式。その後の披露宴では男側の仲人が詩吟のめでたい「四海波」を吟じた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年04月12日
撮影:1951年4月
神前結婚式
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)で海水浴の帰りには、新鮮な魚を買った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年08月30日
撮影:1950年8月
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)