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八代内港。客船の発着場が蛇篭港だった頃、戦時中の造船所跡地に工事用の船や貨物運搬船で「船だまり」ができるほどだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月01日
撮影:1965年5月
八代内港
船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右から左へ順番に投げ網を打ち魚を捕り、舟上で調理し楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年04月08日
撮影:1965年4月
船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右か
昭和空撮 御船眼鑑(めがね)橋一帯=御船町 撮影日:昭和40年04月01日
撮影:1965年4月
掲載日:2012-01-24
昭和空撮79 御船眼鑑(めがね)橋一帯=御船町 昭和40年
船出浮き=八代市。獲物は”コノシロ”がぎっしり。刺し身、塩焼きの舟上料理がたのしみだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮き=八代市。獲物は”コノシロ”がぎっしり。刺し身、塩焼きの舟上料理
船出浮き=八代市。船頭さんの見事な網さばきに、殿様気分の乗客は拍手喝采 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮き=八代市。船頭さんの見事な網さばきに、殿様気分の乗客は拍手喝采
船出浮き=八代市港町沖。400年ほど前、八代の殿様の舟あそびとして始まった「舟出浮(ふなでうき)」。10隻くらいの投網舟に客4~5人を乗せ、獲物を舟の中で料理して酒のさかなにして遊ぶ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮き=八代市港町沖。400年ほど前、八代の殿様の舟あそびとして始まっ
船出浮=八代市。八代市中島町の前川橋の上流から出発した舟出浮の舟は10隻くらいが1団となり球磨川河口付近で投網して楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮=八代市。八代市中島町の前川橋の上流から出発した舟出浮の舟は10隻
船出浮=八代市。10隻位で編成し、お客を載せて出航。1隻目が「廻し打ち」という投網をする。他の舟が魚が逃げる方向を取りかこみ、「一網打尽」の漁をする。そして舟上で料理を楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮=八代市。10隻位で編成し、お客を載せて出航
船出浮き乗り場=八代市。船出浮きでは、投げ網でとれた新鮮な魚は舟の上で料理される。海上で楽しく1日を過ごされるので休日には県内外のお客さんが集まり、賑わった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月02日
撮影:1965年3月
船出浮き乗り場=八代市。船出浮きでは、投げ網でとれた新鮮な魚は舟の上で料
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って買い物や塩屋八幡宮のお祭りに来ていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年10月25日
撮影:1963年10月
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って
球磨川下り=球磨村。軋む船べり、ガッガッと舟底は岩を噛む。船頭は満身の力を櫓に込めて自然の力を巧みに操る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年05月05日
撮影:1963年5月
球磨川下り=球磨村。軋む船べり、ガッガッと舟底は岩を噛む
三角の観光船 (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和36年09月23日
撮影:1961年9月
三角の観光船 (中村弘之氏撮影)
進水式=八代市。八代市の櫻井造船所は住吉神社の隣にあった。進水式は球磨川であり、多数の大漁旗がたなびき、餅まきが行われた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年09月05日
撮影:1961年9月
進水式=八代市。八代市の櫻井造船所は住吉神社の隣にあった。進水式は球磨川
木造船造り=八代市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年04月10日
撮影:1961年4月
木造船造り=八代市。 (麦島勝氏撮影)
木造船造り=八代市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年04月01日
撮影:1961年4月
木造船造り=八代市。 (麦島勝氏撮影)