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山頂紅葉=大分県・大船山。 (福嶋俊郎氏撮影) 撮影日:平成9年10月12日
撮影:1997年10月
山頂紅葉=大分県・大船山。 (福嶋俊郎氏撮影)
ミヤマキリシマ=平治岳(北大船山より)。 (福嶋俊郎氏撮影) 撮影日:平成9年06月04日
撮影:1997年6月
ミヤマキリシマ=平治岳(北大船山より)。 (福嶋俊郎氏撮影)
南極観測船しらせ。第9回みなと八代フェスティバルが行われ電灯艦飾体験航海や船内見学・佐世保音楽隊八代地域芸能フェスタなどで賑わった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成7年09月25日
撮影:1995年9月
南極観測船しらせ=八代市。第9回みなと八代フェスティバル
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右岸の段地区まで通学船今泉丸が送迎した。西部大橋が建造されるまで続いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成2年10月08日
撮影:1990年10月
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更するにあたり、PRの飛行船が八代市の工業団地埋立地の広場を基地に九州各地へ飛んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和63年03月13日
撮影:1988年3月
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更す
御船橋(眼鏡橋)=御船町。御船川の度々の洪水にも耐えた美しい「眼鏡橋」。昭和63年5月の大雨により流失した。しかし「思い出橋」として新橋ができている。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和62年07月25日
撮影:1987年7月
御船橋(眼鏡橋)=御船町。御船川の度々の洪水にも耐えた美しい「眼鏡橋」。
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎していた。しかし風の強い日や洪水の時は、上下流の橋を経て父兄が車で送った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年11月06日
撮影:1984年11月
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎して
通学船今泉丸=塚本村の球磨川。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年10月02日
撮影:1974年10月
通学船今泉丸=塚本村の球磨川。 (麦島勝氏撮影)
御船の眼鏡橋。御船から上流には数多くの石橋が残っているが、この眼鏡橋は昭和62年の洪水で姿を消した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年07月21日
撮影:1974年7月
御船の眼鏡橋。御船から上流には数多くの石橋が残っている
水害で金剛橋が不通となり、渡船を利用する人たち=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年08月15日
撮影:1972年8月
水害で金剛橋が不通となり、渡船を利用する人たち=八代市
しゅんせつ船。球磨川水系は汽水域(淡水と海水が混じる塩分が少ない)で塩分除去が早いと有名になりコンベアーを使ったしゅんせつ船が活躍した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和46年05月23日
撮影:1971年5月
しゅんせつ船=八代市
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た人の中には、買い物を頭に乗せうまく歩く人もいた。みんな慣れていてびっくりしなかった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年09月05日
撮影:1968年9月
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た
大鋸で作業=松島町。直径50cm以上の松材は、造船作業では必ず適当な厚さに長い時間をかけて大鋸で割いだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月18日
撮影:1965年9月
大鋸で作業=松島町
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっているので「手斧」で削る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月07日
撮影:1965年8月
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっている
ボート遊び。球磨川発船場の対岸、水の手橋近くに手こぎボートが係留され、若いカップルが楽しげにオールを漕いでいた=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月05日
撮影:1965年8月
ボート遊び=人吉市留