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【入選】昭和14年8月2日 湯島の風景=天草郡大矢野町 ※さいたま市の楠田潤さん提供
撮影:1939年8月
昭和14年8月2日 湯島の風景=天草郡大矢野町 ※さいたま市の楠田潤さん
昭和10年ごろ 波静かな入り江に連なる崎津の街並。右手に崎津天主堂の尖塔が見える。 ※天草市の鶴田八洲成さん提供
撮影:1935年1月
昭和10年ごろ 教会が見える崎津の街並=天草市
昭和10年ごろ 砂月海岸に勢揃いした芸者衆。天草・牛深町 ※写真集・熊本100年より
撮影:1935年1月
昭和10年ごろ 砂月海岸に勢揃いした芸者衆。天草・牛深町 ※写真集・熊本
昭和8年ごろ 日の出セメント工場=天草郡姫戸町二間戸 ※写真集・熊本100年より
撮影:1933年1月
昭和8年ごろ 日の出セメント工場=天草郡姫戸町二間戸 ※写真集・熊本10
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。当時は国産トラックはなくシボレー、フォードが使われていた ※天草市河浦町の高松昭次郎さん提供
撮影:1930年1月
昭和5〜6年ごろ 旭炭鉱の鉱口、芦刈橋付近。トラックはシボレー、フォードが使われていた
【入選】明治40年ごろ 志岐炭鉱の汽車による送炭。富岡まで鉄道が敷かれていた。 ※岡部五十四氏撮影、天草市の鶴田八洲成さん提供、「天草古蹟産物写真帖」より
撮影:1907年1月
明治40年ごろ 志岐炭鉱の汽車による送炭。富岡まで鉄道が敷かれていた。
関係者や地域住民ら約300人が訪れにぎやかな雰囲気の中で進水する「福丸」=上天草市松島町 撮影日:平成22年04月03日
撮影:2010年4月
掲載日:2010-04-04
大幅改造したえい航船「福丸」の進水式=上天草市
稼働を始めた九州ワコール製造熊本工場=上天草市大矢野町 撮影日:平成22年04月02日
撮影:2010年4月
掲載日:2010-04-04
九州ワコール製造熊本工場の新工場が完成=上天草市大矢野町
少子化で定員割れが続き、来年4月1日で廃止の方針が打ち出されたひめど保育園。私立保育園が運営を引き継ぐ=上天草市姫戸町 撮影日:平成21年12月04日
撮影:2009年12月
掲載日:2009-12-05
来年4月1日で廃止の方針が打ち出されたひめど保育園
沖合で光る不知火現象と見られる明かり(画面中央の横長の明かり)=19日午前3時20分ごろ、宇城市不知火町の永尾神社から上天草市龍ケ岳町方面を撮影。ISO200、絞り2.8、2分間露光 撮影日:平成21年09月19日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-19
沖合で光る不知火現象と見られる明かり(画面中央の横長の明かり)=宇城市
赤潮被害で廃棄される養殖ブリの死がい=天草市牛深町 撮影日:平成21年08月03日
撮影:2009年8月
掲載日:2009-08-04
赤潮被害で廃棄される養殖ブリの死がい=天草市牛深町
遠くに天草を眺めながら不知火海沿いを走る肥薩おれんじ鉄道=芦北町 撮影日:平成21年07月06日
撮影:2009年7月
遠くに天草を眺めながら不知火海沿いを走る肥薩おれんじ鉄道=芦北町
ろうそくに火を灯す学生 天草市立看護学校戴帽(たいぼう)式=天草市 撮影日:平成18年10月20日
撮影:2006年10月
ろうそくに火を灯す学生 天草市立看護学校戴帽式
牛深ハイヤ祭り 漁港・牛深は古くから海上交通の中継基地であった。南風が吹くと海が荒れ、風がおさまるまで多くの船が寄港した。船乗りたちは長い航海のストレスを飲めや歌えで解消し、再び出港した。南風をハエと言い、それが訛(なま)って歌の「ハイヤ節」になったのが江戸後期。踊りは三味線や太鼓のリズムに乗って自由に踊っていた。
昭和36(1961)年ごろ観光用に振り付けしたのが今のハイヤ踊り。祭りは多くの参加者で終日にぎわう。=天草市牛深町のハイヤ通り 撮影日:2006年04月16日
撮影:2006年4月
牛深ハイヤ祭りフィナーレの総踊りで元気よく踊る牛深高郷土芸能
春の日差しで水面(みなも)が光る天草の海=上天草市大矢野町の維和桜公園
撮影:2006年4月
春の日差しで水面(みなも)が光る天草の海=上天草市大矢野町の