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昭和4年ごろ ブラジル移民視察に参加した、写真提供の小笠原さんの父・中田義介さん(右端)。林を切り開いたような場所にある墓に花が供えられ、移民の母子と思われる人もいる ※熊本市水前寺公園の小笠原ミチ子さん提供
撮影:1929年1月
昭和4年ごろ ブラジル移民視察に参加した父
昭和初期 いとこ2人が台湾から帰郷、熊本城前で撮った記念写真。乗り合いバスのような車と、ダットサン。ダットサンの車輪の外側にはシュロ製の泥よけが見える=熊本市本丸 ※熊本市八景水谷の西依卓爾さん提供
撮影:1928年1月
昭和初期 いとこ帰郷時の記念写真。ダットサンの泥除けに注目=熊本市本丸
「大野下の大ソテツ」でのクロマダラソテツシジミの繁殖を調査する玉名市文化課職員=同市 撮影日:平成21年09月08日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-11
「大野下の大ソテツ」でのクロマダラソテツシジミの繁殖を調査する玉名市職員
風に揺れるススキの横で季節外れの花を咲かせているミヤマキリシマ=阿蘇市の仙酔峡 撮影日:平成21年09月05日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-06
風に揺れるススキの横で季節外れの花を咲かせているミヤマキリシマ=阿蘇市
くまもと建築遺跡めぐり・烏帽子坑 煙が出ない高品質の「無煙炭」として日本海軍の軍艦燃料に重宝され、明治から大正時代に最盛期を迎えた天草地方の炭田。当時の面影を現在に伝えるのが、天草市牛深町下須島沖の「烏帽子(えぼし)坑」の坑口跡だ。
牛深町宮崎の漁港から船で約10分ほど下須島の西海岸沿いを航行、陸地から約200メートルの海上に坑口を開けた烏帽子坑が浮かんでいた。坑口から坑道が海の中へと傾斜して曲線を描く形は、海上に鎮座する獅子の背中にも見えた。
烏帽子坑は1897(明治30)年、天草炭業が開坑。無煙炭を軍事用に採掘したが、排水の処理がうまくいかなかったため、数年後に閉坑となった。坑口は縦横2メートルで5層の赤レンガと砂岩を組み合わせている。背後に、岩礁を利用した石組みの防波堤(長さ50メートル、高さ6メートル)があり、坑口を守っている。
天草地方の炭鉱で働いていた地元の高齢者は「劣悪な労働条件で、つらい思い出もあるが、天草の炭鉱の歴史を後世に伝えるためにも残してほしい」と話した。打ち寄せる波に襲われながら立ち続けてきた烏帽子坑の姿は、そんな声に必死に応えようとしているようだった。=天草市牛深町の下須島沖 撮影日:平成18年07月14日
撮影:2006年7月
波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市
花散らしの風に揺れる桜=熊本城不開門から。後方は平櫓(やぐら)
撮影:2006年3月
花散らしの風に揺れる桜=熊本城不開門から。後方は平櫓(やぐら
町名小史・清水町 明治17年に室園、万石、山室、高平など10カ村が合併、飽託郡清水村が誕生。清水村の名称は八景水谷の湧(ゆう)水にちなんで付けられた。昭和14年に熊本市に合併、清水町になり発展を続け、町の中心付近には八景水谷水源地、陸軍幼年学校などが設立された。戦後は幼年学校跡に米進駐軍が駐留、昭和31年、米軍撤退後は自衛隊第八師団司令部、北熊本駐とん部隊が居を構えた。新熊本バイパスの開通などを契機に新地、高平、万石などに大型団地がお目見えした。=熊本市八景水谷 撮影日:平成17年10月03日
撮影:2005年10月
陸上自衛隊第八師団司令部が入る北熊本駐屯地=熊本市八景水谷
家並みと熊本城=熊本市坪井5丁目の坪井川沿いから
撮影:2004年10月
家並みと熊本城=熊本市坪井5丁目の坪井川沿いから
スポーツチャンバラの防具をつけ戦う子供たち 熊本城こどもろう城体験学習=熊本市
撮影:2004年8月
スポーツチャンバラの防具をつけ戦う子供たち 熊本城こどもろう
昭和36年ごろ 忍者ハットリくんに扮した私=熊本市池田町 02 ※熊本市大窪の池内宏彰さん提供
撮影:2000年3月
昭和36年ごろ 忍者ハットリくんに扮した私=熊本市池田町
昭和49年3月ごろ 白川河畔で親せきや家族がそろっての花見がこれから始まる。家族で作った桜の花を自宅から持参=熊本市十禅寺町 ※下益城郡城南町の藤米田紀代子さん提供
撮影:1974年3月
昭和49年 白川河畔で花見の準備。花は自宅から持参=熊本市十禅寺町
昭和46年11月 浄行寺交差点の風景=熊本市坪井 ※熊本市坪井の和田博實さん提供
撮影:1972年2月
昭和46年11月 浄行寺交差点の風景=熊本市坪井 ※熊本市坪井の和田博實さ
明治20年 熊本警察署 ※写真集・熊本100年より
撮影:1970年1月
明治20年 熊本警察署 ※写真集・熊本100年より
昭和42年秋、スバル360と私。免許取得は昭和39年、写真提供の古閑さんが通勤などのため待望の新車を購入したのは3年後だった。マイカー通勤がまだ珍しかった時代だ=熊本市出水町 ※熊本市水前寺の古閑トシ子さん提供
撮影:1967年10月
昭和42年秋 スバル360と私=熊本市出水町
昭和40年3月 人吉城址の二の丸広場から見た球磨川と水の手橋、人吉市街。写真提供の新門さんが30歳のとき初めてカメラを購入、「いい風景」と思って写したという1枚=人吉市 ※人吉市浪床町の新門親志さん提供
撮影:1965年3月
昭和40年3月 球磨川水の手橋と人吉市街=人吉市