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公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも
公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも影響するので定期的に公役が行われた。帳付さん(世話係)は昼飯時に人数を確認する。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年11月05日

撮影:1952年11月

公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも

川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、
川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、雨は振らなくとも上流で降雨があると川のそばの道は水びたしになった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年07月05日

撮影:1952年7月

川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、

砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八
砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八代に堆積する。砂利は、サイズ別にふるい分けられ「ダンベ船」で各地に運んだ (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年07月14日

撮影:1951年7月

砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八

天神バネのいかだ集積場=八代市の球磨川
天神バネのいかだ集積場=八代市の球磨川。球磨川右岸の萩原天満宮前の天神バネ付近には萩原、宮地の製材所の木材集積所があり、球磨川の筏流しの木材が着いた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年06月08日

撮影:1951年6月

天神バネのいかだ集積場=八代市の球磨川

メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会
メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会があり、育てた愛鳥を持ち寄り、ひのき舞台で鳴き声を競わせた。試合のルールはめじろが連続5声鳴けば勝ち。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月21日

撮影:1951年3月

メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会

ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂
ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂利をとり「ダンベ船」という大きな船に積み、各地に運搬。球磨川の丸石として珍重された (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月01日

撮影:1950年10月

ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら
洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降らなくても上流に雨が降るとすぐ増水し通行者はズボンをまくり、用心しながら渡る国道3号だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月27日

撮影:1950年6月

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら

いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏
いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏では、親子がのんびりと朝食をとっている、だんらんの姿があった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月02日

撮影:1950年5月

いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」
公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」という川掃除の公役(苦役)が伝承されていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月01日

撮影:1950年5月

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」

石投げ=八代市
石投げ=八代市。球磨川の急流で角のとれた石は、投げても遠くに飛び、川原は子供たちのいい遊び場だった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月10日

撮影:1950年4月

石投げ=八代市

球磨川沿いを走るSL=八代市。球磨川沿いを人吉まで運転されるので「川線」
球磨川沿いを走るSL=八代市。球磨川沿いを人吉まで運転されるので「川線」と親しまれ、客車貨物列車が活躍した (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和24年10月02日

撮影:1949年10月

球磨川沿いを走るSL=八代市。球磨川沿いを人吉まで運転されるので「川線」

いかだ流し=八代市の球磨川
いかだ流し=八代市の球磨川。筏(いかだ)は、木材の直径、長さ、用途、運搬量などで組み立てが異なり、出発地でも違った。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和23年10月23日

撮影:1948年10月

いかだ流し=八代市の球磨川

深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔も
深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔もあり、俳人・井上微笑の句碑もある。句碑には「大根舟続く炭舟下り舟」とある。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和23年10月20日

撮影:1948年10月

深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔も

立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は
立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は昔の川舟が行き来した港で岩には舟をつなぐ孔があけられていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和23年10月20日

撮影:1948年10月

立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は

いかだ流し=八代市の球磨川
いかだ流し=八代市の球磨川。川辺川、球磨川の上流から48瀬とも言われる急流を渡りやっと八代に着く。昭和になってダムができるまで続いた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和23年05月02日

撮影:1948年5月

いかだ流し=八代市の球磨川

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