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雪の駅伝=球磨村。「球磨川一周駅伝」。沿岸道路とも呼ばれた県道304号の完成を祝い、八代宮前から国道219号線沿いの球磨川流域を人吉まで走った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年01月15日
撮影:1960年1月
雪の駅伝=球磨村。「球磨川一周駅伝」。沿岸道路とも呼ばれた県道304号の
球磨川の砂利掘り=八代市。上流から流されて堆積した砂利は、粒がそろい、土木建設用に重宝がられた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和34年05月10日
撮影:1959年5月
球磨川の砂利掘り=八代市
昭和空撮66 球磨川、萩原橋一帯=八代市 撮影日:昭和33年10月01日
撮影:1958年10月
掲載日:2011-11-30
昭和空撮66 球磨川、萩原橋一帯=八代市 昭和33年
茅刈り=八代市金剛。球磨川が八代海にそそぐ河口一帯は2メートル以上の茅が生えていた。漁に出入する船の障害にもなり、秋には伐り出され畜舎の屋根など珍重された (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月11日
撮影:1957年11月
茅刈り=八代市金剛。球磨川が八代海にそそぐ河口一帯は2メートル以上の茅が
みかんちぎり=八代市。八代市の宮地や高田地区はみかんの産地。球磨川沿いの山々でもみかんが黄金色に実り、「姐さんかぶり」の娘さんたちが丁寧に収穫した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年10月21日
撮影:1957年10月
みかんちぎり=八代市。八代市の宮地や高田地区はみかんの産地。球磨川沿いの
植柳橋補修=八代市。球磨川は流域の暮らしを助けているが、洪水時には「暴れ川」となり橋が流され交通も寸断された。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年10月18日
撮影:1957年10月
植柳橋補修=八代市。球磨川は流域の暮らしを助けているが、洪水時には「暴れ
球磨川下りの出発風景=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年03月12日
撮影:1957年3月
球磨川下りの出発=人吉市
メジロ競鳴会=八代市。早春の球磨川沿いの原っぱでは、めじろの鳴き合わせが始まる。飼い主は竹笛で調教しかわいがっている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年02月12日
撮影:1957年2月
メジロ競鳴会=八代市。早春の球磨川沿いの原っぱでのめじろの鳴き合わせ
大根洗い=八代市。現在は、埋められて市街地になっているが、野上一帯は牧場や製材所の他は川や農地で大根畑もあり球磨川の水で洗った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月14日
撮影:1956年10月
大根洗い=八代市。現在は、埋められて市街地になっている
大根干し=八代市植柳。球磨川と前川の三角州地帯は上流から肥沃な土砂が堆積し、農作物の産地。冬には、土堤にはほし柵をつくり、漬物にする大根を吊した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年01月22日
撮影:1956年1月
大根干し=八代市植柳。球磨川と前川の三角州地帯は上流から肥沃な土砂が堆積
サーカスの象=八代市。八代宮境内でサーカスの興業があり、貨物専用の球磨川駅に象が到着。PRで八代宮まで行進する前に、子どもたちに長い鼻をふりあいさつした (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月18日
撮影:1955年10月
サーカスの象=八代市。八代宮境内でサーカスの興業があり、貨物専用の球磨川
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、現代のラフティングの様である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月20日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少し下流で採取した「寒ノリ」は家で水洗し、葦で作ったミスに広げて日当たりの良い屋根の上で乾燥させる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年03月05日
撮影:1955年3月
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少
人吉雪景色。球磨川下りの発船場も雪景色 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月21日
撮影:1955年1月
人吉雪景色。球磨川下りの発船場も雪景色 (麦島勝氏撮影)
シャク掘り=八代市。球磨川河口の干潟では5、6人の男たちがシャクコネ棒を突き込み泥をこね上げる。くぼみに入った女たちは腰まで漬かってザルでシャクをすくい取った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月15日
撮影:1954年9月
シャク掘り=八代市。球磨川河口の干潟では5、6人の男たちがシャクコネ棒を