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昭和28年6月27日 熊本大水害。街中に流れ込んだ水=熊本市船場一帯 ※熊本市上熊本の飛松洋三さん提供
撮影:1953年6月
昭和28年6月27日 熊本大水害。街中に流れ込んだ水=熊本市
昭和16年ごろ 写真提供の丹生さんと中学済々黌の同級生だった石坂健郎さん(父は元熊本市長)。フィリピン・レイテ島の空中戦で散華。丹生さんの手元に残る貴重な1枚 ※上益城郡御船町の丹生幸輔さん提供
撮影:1944年1月
昭和16年ごろ 石坂健郎さん。フィリピン・レイテ島の空中戦で戦死した
火が放たれ燃え上がる精霊舟=御船町の御船川 撮影日:平成21年08月16日
撮影:2009年8月
掲載日:2009-08-18
火が放たれ燃え上がる精霊舟=御船町の御船川
見学船に寄り添うようにして泳ぐイルカの群れ=天草市 撮影日:平成21年03月07日
撮影:2009年3月
見学船に寄り添うようにして泳ぐイルカの群れ=天草市
金刀比羅宮大祭 船の形をした神輿(みこし)をくぐり、家内安全などを願う住民=上天草市松島町
撮影:2006年4月
金刀比羅宮大祭 船の形をした神輿(みこし)をくぐり、家内安全
第39回天草五橋祭 どらの音に合わせオールをこぎ白龍船を走らせる参加者=上天草市松島町の合津港沖
撮影:2005年9月
第39回天草五橋祭 どらの音に合わせオールをこぎ白龍船を走ら
「御船口」としてにぎわった当時の面影を残す建物を見ながら、地域の歴史を学ぶ参加者たち=熊本市琴平本町 撮影日:平成17年08月24日
撮影:2005年8月
「御船口」の面影を残す建物を見ながら歴史を学ぶ参加者たち=熊本市
来年の閉校を控えた最後の運動会で、伝馬船競争を披露しようと練習する茂串小学校の子供たち=牛深市 撮影日:平成16年09月14日
撮影:2004年9月
来年の閉校を控えた最後の運動会で、伝馬船競争を披露しようと練習する茂串小
天草五橋祭 天草5号橋をバックに激走する白竜船=天草郡松島町
撮影:1993年9月
天草五橋祭 天草5号橋をバックに激走する白竜船=天草郡松島町
水俣湾のヘドロ処理。後方がしゅんせつ船(水俣病関連)
撮影:1985年12月
水俣湾のヘドロ処理。後方がしゅんせつ船(水俣病関連)
水俣湾で始まったヘドロしゅんせつ作業。手前がしゅんせつ船=水俣市(水俣病関連)
撮影:1983年3月
水俣湾で始まったヘドロしゅんせつ作業。手前がしゅんせつ船=水
大漁続くイワシ漁巾着網にかかったイワシを母船に引き上げる漁師=牛深沖
撮影:1953年9月
大漁続くイワシ漁巾着網にかかったイワシを母船に引き上げる漁師
関係者や地域住民ら約300人が訪れにぎやかな雰囲気の中で進水する「福丸」=上天草市松島町 撮影日:平成22年04月03日
撮影:2010年4月
掲載日:2010-04-04
大幅改造したえい航船「福丸」の進水式=上天草市
「不知火」に見立てたかがり火から採火する「巡幸船」=18日午後6時半すぎ、宇城市不知火町 撮影日:平成21年09月18日
撮影:2009年9月
掲載日:2009-09-19
「不知火」に見立てたかがり火から採火する「巡幸船」=18日午後6時半すぎ
牛深ハイヤ祭り 漁港・牛深は古くから海上交通の中継基地であった。南風が吹くと海が荒れ、風がおさまるまで多くの船が寄港した。船乗りたちは長い航海のストレスを飲めや歌えで解消し、再び出港した。南風をハエと言い、それが訛(なま)って歌の「ハイヤ節」になったのが江戸後期。踊りは三味線や太鼓のリズムに乗って自由に踊っていた。
昭和36(1961)年ごろ観光用に振り付けしたのが今のハイヤ踊り。祭りは多くの参加者で終日にぎわう。=天草市牛深町のハイヤ通り 撮影日:2006年04月16日
撮影:2006年4月
牛深ハイヤ祭りフィナーレの総踊りで元気よく踊る牛深高郷土芸能