トップページ > キーワード「舟」 での検索結果(237件ヒット)
まもなくスタートします・・・
船団、早春の川面へ 発船場を次々に出発する球磨川下り船=人吉市下新町 撮影日:平成16年03月01日
撮影:2004年3月
船団、早春の川面へ 発船場を次々に出発する球磨川下り船=人吉市下新町
ペーロンの練習をする中学生=芦北地方 撮影日:昭和43年08月12日
撮影:1968年8月
ペーロンの練習をする中学生=芦北地方
八代名物舟出浮き。一斉に投げ網が開く=八代市 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
八代名物舟出浮き。一斉に投げ網が開く=八代市
八代名物舟出浮き。前川河口に集まった漁船=八代市 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
八代名物舟出浮き。前川河口に集まった漁船=八代市
球磨川開き 発着場を発つ川下り舟=人吉市 撮影日:昭和36年3月15日
撮影:1961年3月
球磨川開き 発着場を発つ川下り舟=人吉市
球磨川下り舟のトラック搬送=人吉地方
撮影:1959年5月
球磨川下り舟のトラック搬送=人吉地方
町名小史・迎町 長六橋東南一帯。南部から城下へ入る地点で、薩摩藩の参勤交代のさいも、この迎町に宿を取った。南部からの客を迎え入れることから「迎町」の名になったといわれる。清正は城の防衛上、白川の一線を防衛線とした。その左岸にはいっさい市街の展開を行わず、橋は長六橋一カ所とした。慶長6年に架けられたので、長六橋と付けられたという。迎町はこの長六橋とともに栄えた。「花の熊本 長六橋から眺むれば オヤ ポンポコニャ 下は白川 両芝居 少し下がれば 本山渡し舟」と歌われ、一帯は町民のお楽しみ地帯だった。写真はズボンをまくって白川を渡る子どもたち=熊本市の長六橋下流 撮影日:昭和29年6月4日
撮影:1954年6月
ズボンをまくって白川横断=熊本市の長六橋下流
「熊本地名シンポジウムin川尻」で現地見学会。中牟田閘門を移動する舟を見学する参加者ら=熊本市 撮影日:平成21年10月10日
撮影:2009年10月
掲載日:2009-10-11
中牟田閘門を移動する舟を見学する参加者ら=熊本市
球磨川くだり・「初下り」で観光客らを乗せて出発するこたつ舟=人吉市 撮影日:平成17年01月01日
撮影:2005年1月
球磨川くだり・「初下り」で観光客らを乗せて出発するこたつ舟=人吉市
船上月見の会 月を楽しむ参加者たち=熊本市美登里町の加勢川 撮影日:平成16年09月26日
撮影:2004年9月
船上月見の会 月を楽しむ参加者たち=熊本市美登里町の加勢川
新作能「不知火」水俣奉納公演 海へと運ばれる精霊舟=水俣市(水俣病関連)
撮影:2004年8月
新作能「不知火」水俣奉納公演 海へと運ばれる精霊舟=水俣市(
有明海のノリ種付け作業始まる。干潟の舟に腰掛けて昼食=玉名市滑石の沖合い 撮影日:昭和37年10月10日
撮影:2004年5月
有明海のノリ種付け作業始まる。干潟の舟に腰掛けて昼食=玉名市滑石の沖合い
「やつしろ舟出浮き」始まる。地元漁師が「ツボ網」を使ってコノシロやスズキなどを揚げた=八代海 撮影日:平成16年04月14日
撮影:2004年4月
「やつしろ舟出浮き」始まる。地元漁師が「ツボ網」を使ってコノシロやスズキ
鹿本町の「舟流し」 わら舟の花火に点火する子どもたち=鹿本郡鹿本町
撮影:1986年7月
鹿本町の「舟流し」 わら舟の花火に点火する子どもたち=鹿本郡
港の舟の上で遊ぶ子どもたち=水俣市湯堂(水俣病関連)
撮影:1986年1月
港の舟の上で遊ぶ子どもたち=水俣市湯堂(水俣病関連)