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イイダコの燻製づくり。窯の中=天草郡有明町
イイダコの燻製づくり。窯の中=天草郡有明町   撮影日:昭和40年09月03日

撮影:1965年9月

イイダコの燻製づくり。窯の中=天草郡有明町

交通安全宣言をする天草農業高校大矢野分校の生徒たち=天草郡大矢野町
交通安全宣言をする天草農業高校大矢野分校の生徒たち=天草郡大矢野町   撮影日:昭和40年09月29日

撮影:1965年9月

交通安全宣言をする天草農業高校大矢野分校の生徒たち=天草郡大矢野町

昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう栃錦=天草郡倉岳町 ※天
昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう横綱栃錦。「栃若時代」全盛のころ。港へ向かう関取に村民がぞろぞろついて歩き、大変な賑わいだったという=天草郡倉岳村 ※天草市倉岳町の梅戸吉伸さん提供

撮影:1956年12月

昭和31年12月 大相撲地方巡業、棚底港へ向かう栃錦=天草郡倉岳町 ※天

解体して更地にすることが決まった国民宿舎「松島苑」の建物跡=上天草市
解体して更地にすることが決まった国民宿舎「松島苑」の建物跡=上天草市松島町   撮影日:平成21年09月15日

撮影:2009年9月 掲載日:2009-09-18

解体して更地にすることが決まった国民宿舎「松島苑」の建物跡=上天草市

昭和40年 天草五橋建設工事 2号橋現場 02=天草郡大矢野町 ※熊本市
【入選】昭和40年 天草五橋建設工事 2号橋現場 02=天草郡大矢野町 ※熊本市上代の大塚博司さん提供

撮影:1965年1月

昭和40年 天草五橋建設工事 2号橋現場 02=天草郡大矢野町 ※熊本市

昭和39年 権現山炭鉱、給料袋に顔をほころばす主婦=当時の魚貫村 ※熊本
昭和39年 権現山炭鉱、給料袋に顔をほころばす主婦=当時の魚貫村 ※熊本市の小杉冨士雄さん撮影、天草市の吉川茂文さん提供

撮影:1964年1月

昭和39年 権現山炭鉱、給料袋に顔をほころばす主婦=当時の魚貫村 ※熊本

昭和31年8月 弓ケ浜で泳ぐ子どもたち 03=天草郡大矢野町 ※上天草市
【部門賞 こども・学校】昭和31年8月 弓ケ浜で泳ぐ子どもたち 03=天草郡大矢野町 ※上天草市大矢野町の山崎隆雄さん提供

撮影:1956年8月

昭和31年8月 弓ケ浜で泳ぐ子どもたち 03=天草郡大矢野町 ※上天草市

昭和28年9月26日 元大矢野町長の森慈秀氏宅での赤ちゃん大会=天草郡大矢野町
昭和28年9月26日 赤ちゃん大会。元大矢野町長の森慈秀氏は私費を投じ母子福祉事業にも尽力。自宅で乳幼児健康促進の「赤ちゃん大会」を開いた=天草郡大矢野町 ※天草市亀場町の舩元れい子さん提供

撮影:1953年9月

昭和28年9月26日 元大矢野町長の森慈秀氏宅での赤ちゃん大会=天草郡大矢野町

昭和初期ごろ 繭市場前の町中を通る客馬車。 ※天草市の鶴田八洲成さん提供
【入選】昭和初期ごろ 繭市場前の町中を通る客馬車。 ※岡部五十四氏撮影、天草市の鶴田八洲成さん提供

撮影:1926年1月

昭和初期ごろ 繭市場前の町中を通る客馬車。 ※天草市の鶴田八洲成さん提供

下田温泉祭 お湯かけ女みこし=天草市
下田温泉祭のお湯かけ女みこし。沿道からのお湯を浴びながら、みこしを担ぐ女性たち=天草市天草町   撮影日:平成22年05月09日

撮影:2010年5月 掲載日:2010-05-15

下田温泉祭 お湯かけ女みこし=天草市

昭和35年夏 近所の仲間と弓ヶ浜に海水浴=天草郡大矢野町
昭和35年夏 大矢野町(現上天草市)弓ケ浜の海岸に並ぶ、写真提供の村上さんの家族と近所の人たち。天草五橋はまだなく、一行は三角港から船で渡った=天草郡大矢野町 ※菊池市七城町の村上秀之さん提供

撮影:1960年8月

昭和35年夏 近所の仲間と弓ヶ浜に海水浴=天草郡大矢野町

昭和29年 植田さんと家族 自宅前で=天草郡大矢野町
昭和29年 大矢野町上(現上天草市)の自転車店前で。オートバイに乗っているのが写真提供の植田さん。オート三輪は植田さんが免許を取得した昭和26年に父・磯造さんが購入=天草郡大矢野町 ※上天草市大矢野町の植田節義さん提供

撮影:1954年1月

昭和29年 植田さんと家族 自宅前で=天草郡大矢野町

昭和28年ごろの三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える=宇土郡三角町
昭和28年ごろの夏の三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える。港の桟橋から=宇土郡三角町 ※上天草市大矢野町の川上力さん提供

撮影:1953年8月

昭和28年ごろの三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える=宇土郡三角町

昭和25年ごろ 笑顔が印象的な炭焼き作業中の夫婦.。2人は戦災で神戸から
昭和25年ごろ 炭焼き作業をしているのは、神戸で戦災を受け天草に帰郷した夫婦.。2人の笑顔に、やっと訪れた平和の喜びがあふれている=天草郡一町田村 ※天草市河浦町の松本一弥さん提供

撮影:1950年1月

昭和25年ごろ 笑顔が印象的な炭焼き作業中の夫婦.。2人は戦災で神戸から

波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市
くまもと建築遺跡めぐり・烏帽子坑 煙が出ない高品質の「無煙炭」として日本海軍の軍艦燃料に重宝され、明治から大正時代に最盛期を迎えた天草地方の炭田。当時の面影を現在に伝えるのが、天草市牛深町下須島沖の「烏帽子(えぼし)坑」の坑口跡だ。
牛深町宮崎の漁港から船で約10分ほど下須島の西海岸沿いを航行、陸地から約200メートルの海上に坑口を開けた烏帽子坑が浮かんでいた。坑口から坑道が海の中へと傾斜して曲線を描く形は、海上に鎮座する獅子の背中にも見えた。
烏帽子坑は1897(明治30)年、天草炭業が開坑。無煙炭を軍事用に採掘したが、排水の処理がうまくいかなかったため、数年後に閉坑となった。坑口は縦横2メートルで5層の赤レンガと砂岩を組み合わせている。背後に、岩礁を利用した石組みの防波堤(長さ50メートル、高さ6メートル)があり、坑口を守っている。
天草地方の炭鉱で働いていた地元の高齢者は「劣悪な労働条件で、つらい思い出もあるが、天草の炭鉱の歴史を後世に伝えるためにも残してほしい」と話した。打ち寄せる波に襲われながら立ち続けてきた烏帽子坑の姿は、そんな声に必死に応えようとしているようだった。=天草市牛深町の下須島沖   撮影日:平成18年07月14日

撮影:2006年7月

波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市

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  • 2023.01.16
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