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朝霧=阿蘇・大観峰。 (福嶋俊郎氏撮影) 撮影日:平成2年11月01日
撮影:1990年11月
朝霧=阿蘇・大観峰。 (福嶋俊郎氏撮影)
阿蘇谷雲海・1=阿蘇市の二重の峠より。二重の峠から阿蘇谷を東方向に望む来、阿蘇五岳と祖母山を画面に入れる事が出来る。 (福嶋俊郎氏撮影) 撮影日:昭和63年10月01日
撮影:1988年10月
阿蘇谷雲海・1=阿蘇市の二重の峠より。二重の峠から阿蘇谷を東方向に望む来
田楽料理=高森町。田楽はいろりを囲み家族で食べる阿蘇の郷土料理。レジャーで訪れた知人などから口コミで広がって、高森の人気料理になった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和55年10月02日
撮影:1980年10月
田楽料理=高森町。田楽はいろりを囲み家族で食べる阿蘇の郷土料理。レジャー
ピクニック=阿蘇草千里。赤牛が放牧された、草原で家族連れがお弁当を広げていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和54年09月02日
撮影:1979年9月
ピクニック=阿蘇草千里。赤牛が放牧された、草原で家族連れがお弁当を広げて
帰り道=阿蘇鍋の平。秋は牧野の草刈「干し草つくり」の仕事は夕方まで続き、子供は牛の背に乗せられ家路についた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和50年11月01日
撮影:1975年11月
帰り道=阿蘇鍋の平。秋は牧野の草刈「干し草つくり」の仕事は夕方まで続き、
記念撮影=阿蘇町。職場の阿蘇旅行の思い出に記念写真を撮影することになり、セルフタイマーのジーと云う音に大急ぎのカメラマン。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和50年10月10日
撮影:1975年10月
記念撮影=阿蘇町。職場の阿蘇旅行の思い出に記念写真を撮影することになり、
草刈りの帰り道=阿蘇町。草刈りの帰路は、牛馬の背に刈り取った草を乗せて山を降りるのが阿蘇の秋の風物詩だったが、トラクターに変わってしまった。時代の流れを感じた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年10月01日
撮影:1973年10月
草刈りの帰り道=阿蘇町。草刈りの帰路は、牛馬の背に刈り取った草を乗せて山
草ソリ遊び=阿蘇町。阿蘇は四季を通じて魅力がある。子ども連れのお父さんたちは草千里の原っぱでソリ遊びを楽しんだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年05月05日
撮影:1968年5月
草ソリ遊び=阿蘇町。阿蘇は四季を通じて魅力がある
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウェー)も開通し観光客が増加した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウエー)が開通し、根子岳や千枚田を背景にひっきりなしに観光客が行き来した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結
牧草の種まき=一宮町。阿蘇郡一の宮町馬場豆札牧場で、県職員の大滝典雄氏の指導により畜産農業に新しい技術が導入され、阿蘇に適した品種改良の牧草の種まきがあった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年08月01日
撮影:1963年8月
牧草の種まき=一宮町。阿蘇郡一の宮町馬場豆札牧場で、県職員の大滝典雄氏の
草千里と観光バス=阿蘇町。観光シーズンになると、県内外からいろんなバスが訪れ草千里付近はひっきりなしのにぎわい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年05月03日
撮影:1961年5月
草千里と観光バス=阿蘇町。観光シーズンになると、県内外からいろんなバスが
登山馬車=阿蘇町。ロープウェイのできる前は、5~6人乗りの登山馬車で火口付近まで行き、後は歩いた。馬は帰りの客を待つ間、飼い葉を食べての客待ち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年03月01日
撮影:1961年3月
登山馬車=阿蘇町。ロープウェイのできる前は、5~6人乗りの登山馬車で火口
牧野開発=阿蘇郡一の宮町馬場豆札牧場。珍しい機械で鋤きとり、人力で種をまいていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和34年08月16日
撮影:1959年8月
牧野開発=阿蘇郡一の宮町馬場豆札牧場。珍しい機械で鋤きとり、人力で種をま
阿蘇山上観光バス (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和34年03月
撮影:1959年2月
阿蘇山上観光バス (中村弘之氏撮影)