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日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網を引きあげる。次々に「カニ」が獲れ歓声があがる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (
藻切り舟=八代市。八代市高田、催合町から日奈久まで流藻川は四季を通じて「藻」が生えている。田植え前にはエンジンに回転刃を取り付けた「藻切り舟」で川を掃除していた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月02日
撮影:1957年6月
藻切り舟=八代市。八代市高田、催合町から日奈久までの流藻川
舟おろし=本渡市。新しい舟が出来て海岸まで運ぶ。近所の男たちに混ざり、裸の子どもたちが日の丸の旗を上げて舟おろし(進水式)を手伝った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月15日
撮影:1956年8月
舟おろし=本渡市。新しい舟が出来て海岸まで運ぶ
舟おろし。新造船の「進水式」には大人も子供も一緒になって近くの海岸まで舟を運んだ=本渡市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年07月25日
撮影:1956年7月
舟おろし=本渡市。新造船の「進水式」
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、現代のラフティングの様である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月20日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なくなった夏休みを楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月18日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なく
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟に乗って遊んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月15日
撮影:1954年9月
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟
公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも影響するので定期的に公役が行われた。帳付さん(世話係)は昼飯時に人数を確認する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年11月05日
撮影:1952年11月
公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも
藻切り舟=八代市。流藻川という名前通り、川底に藻が繁茂。田植え前には、舟尾に取り付けた発動機に回転羽を付け、藻を切り取り掃除した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年05月20日
撮影:1952年5月
藻切り舟=八代市。流藻川という名前通り、川底に藻が繁茂
藻切り舟=八代市催合町。八代市高田から日奈久町までの流藻川は、「藻」がぎっしり生え、ゴミ箱がひっかかったりする。四季を通じ、舟で発掃除した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年05月10日
撮影:1952年5月
藻切り舟=八代市催合町。八代市高田から日奈久町までの流藻川は、「藻」がぎ
金剛干拓の杭打ち船。舟二艘を中央部を開けて連結し、堤塘工の基礎に松の丸太のくいを打ち込む=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年03月10日
撮影:1950年3月
金剛干拓の杭打ち船
深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔もあり、俳人・井上微笑の句碑もある。句碑には「大根舟続く炭舟下り舟」とある。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月20日
撮影:1948年10月
深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔も
立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は昔の川舟が行き来した港で岩には舟をつなぐ孔があけられていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月20日
撮影:1948年10月
立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は
造船所と帆掛け舟。天草・柳 (楠田宗光氏撮影) 撮影日:昭和16年04月18日
撮影:1941年4月
造船所と帆掛け舟。天草・柳 (楠田宗光氏撮影)