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船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右から左へ順番に投げ網を打ち魚を捕り、舟上で調理し楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年04月08日
撮影:1965年4月
船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右か
船出浮き=八代市。獲物は”コノシロ”がぎっしり。刺し身、塩焼きの舟上料理がたのしみだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮き=八代市。獲物は”コノシロ”がぎっしり。刺し身、塩焼きの舟上料理
船出浮き=八代市港町沖。400年ほど前、八代の殿様の舟あそびとして始まった「舟出浮(ふなでうき)」。10隻くらいの投網舟に客4~5人を乗せ、獲物を舟の中で料理して酒のさかなにして遊ぶ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮き=八代市港町沖。400年ほど前、八代の殿様の舟あそびとして始まっ
船出浮=八代市。八代市中島町の前川橋の上流から出発した舟出浮の舟は10隻くらいが1団となり球磨川河口付近で投網して楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮=八代市。八代市中島町の前川橋の上流から出発した舟出浮の舟は10隻
船出浮=八代市。10隻位で編成し、お客を載せて出航。1隻目が「廻し打ち」という投網をする。他の舟が魚が逃げる方向を取りかこみ、「一網打尽」の漁をする。そして舟上で料理を楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月12日
撮影:1965年3月
船出浮=八代市。10隻位で編成し、お客を載せて出航
船出浮き乗り場=八代市。船出浮きでは、投げ網でとれた新鮮な魚は舟の上で料理される。海上で楽しく1日を過ごされるので休日には県内外のお客さんが集まり、賑わった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月02日
撮影:1965年3月
船出浮き乗り場=八代市。船出浮きでは、投げ網でとれた新鮮な魚は舟の上で料
球磨川下り=球磨村。軋む船べり、ガッガッと舟底は岩を噛む。船頭は満身の力を櫓に込めて自然の力を巧みに操る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年05月05日
撮影:1963年5月
球磨川下り=球磨村。軋む船べり、ガッガッと舟底は岩を噛む
川下り=人吉市。急流球磨川下りの出発には、安全祈願のため水神さんにお供えした水を各舟にふりかける風習が今も続いている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年03月10日
撮影:1963年3月
川下り=人吉市。急流球磨川下りの出発には、安全祈願のため水神さんにお供え
舟作り=八代市。船首から船尾までのカーブに合わせて「手斧(チョウナ)で削られた「竜骨」が組み立てられる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年09月18日
撮影:1960年9月
舟作り=八代市。船首から船尾までのカーブに合わせて「手斧(チョウナ)で削
大島行きの客舟=八代市。現在は石油基地や工業団地になっているが、当時は小さな舟が瀬渡ししていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和33年03月12日
撮影:1958年3月
大島行きの客舟=八代市。現在は石油基地や工業団地になっている大島
ダム建設で引越し=芦北町。電源開発の瀬戸石ダム建設で水没する人々は、舟に家財道具を積み、引っ越した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
ダム建設で引越し=芦北町。電源開発の瀬戸石ダム建設で水没する人々は、舟に
ダム建設で移転、風呂がま運び=芦北町。舟で運ばれた風呂釜は、道路までの斜面をかつぐ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
ダム建設で移転、風呂がま運び=芦北町。舟で運ばれた風呂釜は、道路までの斜
ダム移転で移転、風呂釜運び=芦北町。舟で運ばれた風呂釜は、道路までの斜面をかつぐ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
ダム移転で移転、風呂釜運び=芦北町。舟で運ばれた風呂釜は、道路までの斜面
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町瀬戸石。割れやすい食器や生活用品などは木箱に新聞紙で包んだり、藁を詰め込んだりして、注意しながら舟に積んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年11月30日
撮影:1957年11月
瀬戸石ダム建設で引越し=芦北町瀬戸石。割れやすい食器や生活用品
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「カニ網」。舟上で新鮮なカニを喰う魅力が人気でお土産にもなった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「