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2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町(写真2枚をつないで合成) 撮影日:平成21年08月11日
撮影:2009年8月
掲載日:2009-08-29
2009年8月の牛深港一帯=天草市牛深町
来月1日に解体が始まる旧遊郭「日本亭」=熊本市二本木 撮影日:平成21年08月28日
撮影:2009年8月
掲載日:2009-08-29
来月1日に解体が始まる旧遊郭「日本亭」=熊本市二本木
町名小史・二本木町 「祇園山(花岡山)から二本木見れば、自由廃業でなんとしょ、金はなかしま家も質(楼主中島茂七)、東雲(しののめ)のストライキ、さい(帳場斎藤)とはつらいね、てなことおっしゃいましたかね」-の歌で知られる遊郭地帯だった。明治32年、東雲楼の遊女たちが自由廃業届けの挙にでた。結局は遊女側の敗北に帰したが、この東雲節で、二本木の名は一躍有名になった。二本木には平安時代に「二本木国府」が置かれた。地名の起源は、国府鎮護の護国寺の裏門近くに二本の木があったから、という説がある。明治4年の廃藩置県による県庁が古府中の二本木に新築され「白川県庁」と称していた。明治9年2月「熊本県」の改定とともに「古城」内に移転。白川公園、行幸町、出水町今(現・水前寺6丁目)と四転した。写真は東雲楼屋敷跡。さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町 撮影日:昭和34年8月19日
撮影:1959年8月
東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町
東雲楼玄関 不夜城も今は昔=熊本市二本木町
撮影:1959年8月
東雲楼玄関 不夜城も今は昔=熊本市二本木町
昭和33年・赤線の灯消える 3月16日午前零時赤線の灯は消えた。遊郭最後の日の二本木。 熊本50年・昭和史年表より 撮影日:昭和33年03月
撮影:1958年3月
昭和33年・赤線の灯消える 3月16日午前零時
売春防止法施行、今夜かぎりの遊郭街=熊本市二本木町
撮影:1958年3月
売春防止法施行、今夜かぎりの遊郭街=熊本市二本木町
消える遊郭・転業対策組合事務所=熊本市二本木町
撮影:1958年2月
消える遊郭・転業対策組合事務所=熊本市二本木町
東雲楼の建物=熊本市二本木町
撮影:1955年6月
東雲楼の建物=熊本市二本木町
東雲楼の玄関=熊本市二本木町
撮影:1955年6月
東雲楼の玄関=熊本市二本木町
かつて遊郭や料亭でにぎわった牛深市の岡東地区を散策する「文化財ウオッチング」の参加者=牛深市 撮影日:平成17年10月18日
撮影:2005年10月
かつて遊郭や料亭でにぎわった牛深市の岡東地区を散策する「文化財ウオッチン」
売春防止法施行 今夜かぎりの遊郭街=熊本市二本木町
撮影:1958年3月
売春防止法施行 今夜かぎりの遊郭街=熊本市二本木町
消える遊郭・ひっそりとした遊郭街=熊本市二本木町
撮影:1958年2月
消える遊郭・ひっそりとした遊郭街=熊本市二本木町
解体作業が終わり更地になった、二本木に唯一残っていた旧遊郭「日本亭」跡地=熊本市二本木 撮影日:平成21年10月20日
撮影:2009年10月
掲載日:2009-10-24
解体作業が終わり更地になった旧遊郭「日本亭」跡地=熊本市二本木
かつて遊郭や料亭でにぎわった牛深市の岡東地区を散策する「文化財ウオッチング」の参加者=牛深市 撮影日:平成17年10月18日
撮影:2005年10月
かつて遊郭や料亭でにぎわった牛深市の岡東地区を散策する「文化財ウオッチン」