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016・26熊本大水害 水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂
撮影:1954年6月
水害1周年を前に水害物故者慰霊祭=熊本市桜町の市公会堂
町名小史・上通町 昭和40年4月、以前の上通町、桜井町、長安寺町の大部分と、手取本町、黒鍬町、城東町、上林町、一本竹町、草葉町の一部を集めて上通町となった。
この通りは池田・西里方面にの延び、地図上で上に延びていたので「上通り」と呼ばれた。
一方、木山街道に延びる通りが下になるので「下通り」となった。
旧藩時代は下級武士の屋敷地帯で裏通りには小者(もの)の家が密集していた。西南の役で全焼した頃は120戸、800人ほどの町だったという。
大正13年の市電開通で一気に商業の中心地となる。上通は五高生の町でもあった。七高(鹿児島)との野球試合の後は、デモンストレーションがこの通りを大きく流れ、看板をはがしたり、ガラスを割ったりしたというが、町民たちは「学生さんのことだから」と、笑って済ました。 撮影日:2005/07/16
撮影:2005年7月
通りには縁日コーナーも設けられ、にぎわった城下町くまもとゆかた祭
風雨で散ったソメイヨシノの花びら=5日午前、熊本城不開門下
撮影:2006年4月
風雨で散ったソメイヨシノの花びら=5日午前、熊本城不開門下
始まった就職試験=熊本市桜町の市公会堂 撮影日:昭和40年01月06日
撮影:1965年1月
始まった就職試験=熊本市桜町の市公会堂
昭和30年4月 桜が満開の木葉山で、仲良く並んだおかっぱ頭の姉妹と従妹。洋服は母に作ってもらったおそろい=玉名郡玉東町木葉 ※熊本市水前寺の松本悦子さん提供
撮影:1955年4月
昭和30年4月 母に作ってくれた洋服で、仲良く並んだ姉妹と従妹=玉名郡玉
昭和40年ごろ 高森の通称・九十九曲がり。今は千本桜で有名だが、まだ桜は無い=阿蘇郡高森町 ※阿蘇郡高森町の丸山由佳さん提供
撮影:1965年1月
昭和40年ごろ 高森の通称・九十九曲がり。今は千本桜で有名だが、まだ桜は無い
昭和20年1月1日 元旦に撮影された海軍航空隊第302(さんまるふた)空の一、二分隊総員記念写真東京へ飛来するB-29迎撃の任務を担っていた。使用戦闘機はゼロ戦と雷電=神奈川県厚木 ※熊本市桜木の岩元靖さん提供
撮影:1945年1月
昭和20年1月1日 海軍航空隊一、二分隊総員記念写真=神奈川県厚木
花散らしの風に揺れる桜=熊本城不開門から。後方は平櫓(やぐら)
撮影:2006年3月
花散らしの風に揺れる桜=熊本城不開門から。後方は平櫓(やぐら
昭和49年3月ごろ 白川河畔で親せきや家族がそろっての花見がこれから始まる。家族で作った桜の花を自宅から持参=熊本市十禅寺町 ※下益城郡城南町の藤米田紀代子さん提供
撮影:1974年3月
昭和49年 白川河畔で花見の準備。花は自宅から持参=熊本市十禅寺町
016・26熊本大水害 熊本県災害復興本部の看板=熊本市桜町の県庁
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 熊本県災害復興本部の看板=熊本市桜町の県庁
016・26熊本大水害 九州地方建設局が水害復旧工事用ダンプカー15台を購入、熊本県に提供=熊本市桜町の県庁
撮影:1953年9月
九州地方建設局が水害復旧工事用ダンプカー15台を購入、熊本県に提供=熊本市桜町の県庁
終戦後の昭和21年3月、植柳国民学校の校庭に並ぶ4年生修了の児童たち。女子だけのクラス、4年2組。校庭の土手には桜が並び、花見もしたという=八代市の植柳小学校 ※八代市坂本町の林光子さん提供
撮影:1946年3月
終戦後の昭和21年3月、小学4年生修了時の同級生=八代市の植柳小学校
阿蘇の山々をバックに見ごろを迎えた高森峠千本桜=阿蘇郡高森町
撮影:2006年4月
阿蘇の山々をバックに見ごろを迎えた高森峠千本桜=阿蘇郡高森町
満開の桜の下、花見に訪れた人たち=8日午後、熊本城
撮影:2005年4月
満開の桜の下、花見に訪れた人たち=8日午後、熊本城
夜桜と和楽の夕べ=阿蘇市・阿蘇神社
撮影:2006年4月
夜桜と和楽の夕べ=阿蘇市・阿蘇神社