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昭和50年4月 鮎帰・油谷川上流の川原谷地区に路線バス開通。村長さんも出席して歓迎セレモニー=八代郡坂本村 ※菊池市片角の光堀善教さん提供
撮影:1975年4月
昭和50年4月 鮎帰・油谷川上流の川原谷地区に路線バス開通
熊本市電 路面電車は「環境にやさしい乗り物」と注目される一方で、全国的に乗客の減少がみられる。その中で、熊本市交通局は全国で初めて冷房車や超低床電車を導入、ラッシュ時には2、3分おきに運行するなど工夫を重ね、健闘してきた。
昭和30年代には現在の2路線のほかに、川尻線、広町線、南熊本線、子飼橋線があり、市民に愛された。
熊本市電の開業は大正13年8月1日。早朝5時、第一号電車が新装の大江車庫を走り出した。「次は味噌天神、味噌天神でありまーす。お降りの方はお忘れ物のなきようお仕度くださーい」。若い車掌さんは慣れぬ手つきで切符にハサミを入れた。
以降終日、市電は超満員で、停留所で待っても乗れない電車にゴウをにやした市民は「お急ぎの方はどうぞお歩き下さい」・・・。これが市電開業当初の流行語だった。
開業当時の営業区間は、熊本駅―浄行寺、水道町―水前寺の2路線だった。写真は市街地を通るバスと路面電車=熊本市 撮影日:平成17年09月05日
撮影:2005年9月
市街地を通るバスと路面電車=熊本市
自家用車と観光バスが並ぶ阿蘇山上広場=阿蘇郡阿蘇町 撮影日:昭和37年11月15日
撮影:1962年11月
自家用車と観光バスが並ぶ阿蘇山上広場=阿蘇郡阿蘇町
阿蘇山上広場に並ぶ観光バス=阿蘇郡阿蘇町 撮影日:昭和36年09月23日
撮影:1961年9月
阿蘇山上広場に並ぶ観光バス=阿蘇郡阿蘇町
昭和31年ごろ 湖東幼稚園のスクールバスと園児たち=熊本市内 ※上益城郡益城町の丸山恵美子さん提供
撮影:1956年1月
昭和31年ごろ 湖東幼稚園のスクールバスと園児たち=熊本市内
096・26熊本大水害 国鉄高森線の不通で混雑する高森中央バス停留所=阿蘇郡高森町
撮影:1953年7月
096・26熊本大水害 国鉄高森線の不通で混雑する高森中央バス停留所=阿蘇郡高森町
056・26熊本大水害 国鉄高森線不通。バスの乗降客で混雑する国鉄長陽駅前=阿蘇郡長陽村
撮影:1953年7月
056・26熊本大水害 国鉄高森線不通。バスの乗降客で混雑する国鉄長陽駅前=阿蘇郡長陽村
昭和7年秋ごろ 阿蘇中岳第三火口底。「大阿蘇登山バス」の運転手さんたちがチームを組んで野球を楽しんだ。写真提供の池辺さんは同社のバスガイド1期生=阿蘇郡阿蘇町 ※熊本市坪井の池辺キトさん提供
撮影:1932年10月
昭和7年秋ごろ 阿蘇中岳第三火口でバスガイドさんたちの野球チーム
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
昭和初期 いとこ2人が台湾から帰郷、熊本城前で撮った記念写真。乗り合いバスのような車と、ダットサン。ダットサンの車輪の外側にはシュロ製の泥よけが見える=熊本市本丸 ※熊本市八景水谷の西依卓爾さん提供
撮影:1928年1月
昭和初期 いとこ帰郷時の記念写真。ダットサンの泥除けに注目=熊本市本丸
阿蘇山上に並んだ観光バス=阿蘇郡阿蘇町
撮影:1960年1月
阿蘇山上に並んだ観光バス=阿蘇郡阿蘇町
昭和7〜8年 国鉄坊中駅と登山バス ※写真集・熊本100年より
撮影:1932年1月
昭和7〜8年 国鉄坊中駅と登山バス ※写真集・熊本100年より
8日に運用が始まる広告パネル付きの「日銀前」バス停=熊本市紺屋今町 撮影日:平成21年10月06日
撮影:2009年10月
掲載日:2009-10-07
8日に運用が始まる広告パネル付きの「日銀前」バス停=熊本市紺屋今町
バス通学の児童=熊本市手取本町の市役所前 撮影日:昭和39年05月09日
撮影:1964年5月
バス通学の児童=熊本市手取本町の市役所前
126・26熊本大水害 市電代行のバスに長蛇の列=熊本市水道町
撮影:1953年7月
126・26熊本大水害 市電代行のバスに長蛇の列=熊本市水道町