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殉教のクリスマス。クリスマスイブのミサ=天草市
クリスマスイブのミサ。皆、正装し厳かなミサは夜遅くまで続いた=天草市 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年12月24日

撮影:1952年12月

殉教のクリスマス。クリスマスイブのミサ=天草市

公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも
公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも影響するので定期的に公役が行われた。帳付さん(世話係)は昼飯時に人数を確認する。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年11月05日

撮影:1952年11月

公役の昼食=八代市。球磨川河口堤下は葭やすき、茅などが繁茂し舟着き場にも

かやぶき屋根=八代市。茅葺きは親類や近隣の男衆が総出で手伝った。夏は涼し
かやぶき屋根=八代市。茅葺きは親類や近隣の男衆が総出で手伝った。夏は涼しく冬は暖かく、先祖から受け継いだ家を代々大切に守った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年10月17日

撮影:1952年10月

かやぶき屋根=八代市。茅葺きは親類や近隣の男衆が総出で手伝った。夏は涼し

阿蘇の草泊まり=小国町。牛馬の飼料となる草を刈るための草泊りが始まると、
阿蘇の草泊まり=小国町。牛馬の飼料となる草を刈るための草泊りが始まると、小中学生は学校を休み父母の手伝いをした。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年10月15日

撮影:1952年10月

阿蘇の草泊まり=小国町。牛馬の飼料となる草を刈るための草泊りが始まると、

馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった
馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年08月12日

撮影:1952年8月

馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった

川を渡って野良帰り=八代市。八の字堰が出来る以前、下流での農作業後、植柳
川を渡って野良帰り=八代市。八の字堰が出来る以前、下流での農作業後、植柳橋の方に戻るには小さな川岸の道を通った。降雨で道が水浸しになっても、水の流れる道を黙々と歩いて家へ帰る (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年07月05日

撮影:1952年7月

川を渡って野良帰り=八代市。八の字堰が出来る以前、下流での農作業後、植柳

川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、
川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、雨は振らなくとも上流で降雨があると川のそばの道は水びたしになった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年07月05日

撮影:1952年7月

川を渡る野良帰り=八代市。球磨川河口一帯の田畑で農作業をして家に帰る時、

藻切り舟=八代市。流藻川という名前通り、川底に藻が繁茂
藻切り舟=八代市。流藻川という名前通り、川底に藻が繁茂。田植え前には、舟尾に取り付けた発動機に回転羽を付け、藻を切り取り掃除した (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年05月20日

撮影:1952年5月

藻切り舟=八代市。流藻川という名前通り、川底に藻が繁茂

藻切り舟=八代市催合町。八代市高田から日奈久町までの流藻川は、「藻」がぎ
藻切り舟=八代市催合町。八代市高田から日奈久町までの流藻川は、「藻」がぎっしり生え、ゴミ箱がひっかかったりする。四季を通じ、舟で発掃除した (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年05月10日

撮影:1952年5月

藻切り舟=八代市催合町。八代市高田から日奈久町までの流藻川は、「藻」がぎ

登校前のこうぞ踏み=人吉市。お父さんのゴム長を借りて力強く「こうぞ」を踏
登校前のこうぞ踏み=人吉市。お父さんのゴム長を借りて力強く「こうぞ」を踏みをした後に小学校へ登校した。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和27年02月02日

撮影:1952年2月

登校前のこうぞ踏み=人吉市。お父さんのゴム長を借りて力強く「こうぞ」を踏

餅つき=八代市。「もち米」洗い「蒸籠」と云う木製の四角いわくの底に細い竹
餅つき=八代市。「もち米」洗い「蒸籠」と云う木製の四角いわくの底に細い竹ヒゴを糸で編んだ「ミス」を敷く。もち米を入れ、釜の上で湯気で蒸す。石や木の臼に入れ、杵でついていく。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年12月28日

撮影:1951年12月

餅つき=八代市。「もち米」洗い「蒸籠」と云う木製の四角いわくの底に細い竹

家での昼食=八代市。労働のあとの昼飯。なんの変哲もない日常生活だが、さわ
家での昼食=八代市。労働のあとの昼飯。なんの変哲もない日常生活だが、さわやかな和みがただよっていた (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年10月17日

撮影:1951年10月

家での昼食=八代市。労働のあとの昼飯。なんの変哲もない日常生活だが、さわ

パンくい競争=八代市。運動会のアトラクションでお母さん達のパン食い競走が
パンくい競争=八代市。運動会のアトラクションでお母さん達のパン食い競走があり、大きな口をあけて頑張った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年10月10日

撮影:1951年10月

パンくい競争=八代市。運動会のアトラクションでお母さん達のパン食い競走が

木材置き場=八代市。八代には製材工場や製紙会社が多く、チップに木材が大量
木材置き場=八代市。八代には製材工場や製紙会社が多く、チップに木材が大量に使用される。港湾設備と木材置場に使用するため、海水浴場の白島附近の海が埋められ、姿を変えた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年10月02日

撮影:1951年10月

木材置き場=八代市。八代には製材工場や製紙会社が多く、チップに木材が大量

立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高千穂・延岡方面に行く利用客も多かった。乗客は、九州一高い鉄橋の上から白川峡谷の景観を楽しんだ。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年10月01日

撮影:1951年10月

立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高

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  • 2023.01.16
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