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優勝を決め抱き合う熊本工の選手たち=藤崎台県営野球場 撮影日:平成21年07月30日
撮影:2009年7月
優勝を決め抱き合う熊本工の選手たち=藤崎台県営野球場
サンロード新市街に灯った走馬灯=熊本市(植山茂) 撮影日:平成21年07月18日
撮影:2009年7月
サンロード新市街に灯った走馬灯=熊本市(植山茂)
ライトアップが残る熊本市中心部=7日午後8時5分ごろ、熊本市手取本町の鶴屋百貨店屋上から撮影 撮影日:平成21年07月07日
撮影:2009年7月
ライトアップが残る熊本市中心部=7日午後8時5分ごろ
多くの夜間照明が消えた=7日午後8時5分ごろ、熊本市手取本町の鶴屋百貨店屋上から撮影 撮影日:平成21年07月07日
撮影:2009年7月
多くの夜間照明が消えた=7日午後8時5分ごろ、熊本市手取本町の鶴屋百貨店
遠くに天草を眺めながら不知火海沿いを走る肥薩おれんじ鉄道=芦北町 撮影日:平成21年07月06日
撮影:2009年7月
遠くに天草を眺めながら不知火海沿いを走る肥薩おれんじ鉄道=芦北町
あすからの七夕まつりに向け、高森湧水トンネル内で進む飾り付け作業=高森町 撮影日:平成21年07月02日
撮影:2009年7月
あすからの七夕まつりに向け、高森湧水トンネル内で進む飾り付け作業=高森町
ろうそくに火を灯す学生 天草市立看護学校戴帽(たいぼう)式=天草市 撮影日:平成18年10月20日
撮影:2006年10月
ろうそくに火を灯す学生 天草市立看護学校戴帽式
くまもと建築遺産めぐり・的石御茶屋跡 江戸時代―。参勤交代で江戸に向かう細川家の殿様が休憩・昼食をとった阿蘇市的石の「的石御茶屋跡」。座敷に寝転び目をつぶると、鳥のさえずりや池の水音が部屋にしみ入る。
豊後街道を通る大名行列は、熊本を出て大津で1泊、2泊目の内牧に向かう途中でこの御茶屋に寄った。御茶屋前の二重峠は、最初の難所となる。
「2時間の休憩を、3時間も4時間もおられたそうです。峠越えの後はホッとされたことでしょう」。代々、御茶屋番を務めた小糸家の13代当主は話す。阿蘇五岳と北外輪に抱かれ、外輪を借景にした庭をめでた殿様。参勤交代で大名行列が通るのは5月ごろだったという。殿様気分で御居間にくつろいでいると、涼しい風が吹き抜けた。=阿蘇市 撮影日:平成18年06月07日
撮影:2006年6月
ホタルが乱舞する的石御茶屋跡の庭園
群生地で真っ白の花を咲かせるヒゴイカリソウ=阿蘇郡高森町
撮影:2006年4月
群生地で真っ白の花を咲かせるヒゴイカリソウ=阿蘇郡高森町
見ごろを迎えたウワミズザクラ=球磨郡多良木町の妙見野自然公園
撮影:2006年4月
見ごろを迎えたウワミズザクラ=球磨郡多良木町の妙見野自然公園
ハルリンドウ=阿蘇郡西原村の俵山
撮影:2006年4月
ハルリンドウ=阿蘇郡西原村の俵山
湧水トンネルの入り口で泳ぐ約130匹のこいのぼり=阿蘇郡高森町
撮影:2006年4月
湧水トンネルの入り口で泳ぐ約130匹のこいのぼり=阿蘇郡高森
牛深ハイヤ祭り 漁港・牛深は古くから海上交通の中継基地であった。南風が吹くと海が荒れ、風がおさまるまで多くの船が寄港した。船乗りたちは長い航海のストレスを飲めや歌えで解消し、再び出港した。南風をハエと言い、それが訛(なま)って歌の「ハイヤ節」になったのが江戸後期。踊りは三味線や太鼓のリズムに乗って自由に踊っていた。
昭和36(1961)年ごろ観光用に振り付けしたのが今のハイヤ踊り。祭りは多くの参加者で終日にぎわう。=天草市牛深町のハイヤ通り 撮影日:2006年04月16日
撮影:2006年4月
牛深ハイヤ祭りフィナーレの総踊りで元気よく踊る牛深高郷土芸能
満開となった清水寺の地ナシの花=阿蘇郡南阿蘇村
撮影:2006年4月
満開となった清水寺の地ナシの花=阿蘇郡南阿蘇村
夜桜と和楽の夕べ=阿蘇市・阿蘇神社
撮影:2006年4月
夜桜と和楽の夕べ=阿蘇市・阿蘇神社