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長寿ケ丘観音祭で伝統芸能の虎舞を披露する地元小学生たち=阿蘇市
撮影:2006年5月
長寿ケ丘観音祭で伝統芸能の虎舞を披露する地元小学生たち=阿蘇
風雨で散ったソメイヨシノの花びら=5日午前、熊本城不開門下
撮影:2006年4月
風雨で散ったソメイヨシノの花びら=5日午前、熊本城不開門下
台風14号 増水した球磨川を不安げに見守る消防団員=球磨郡あさぎり町 撮影日:平成17年09月06日
撮影:2005年9月
台風14号 増水した球磨川を不安げに見守る消防団員=球磨郡あさぎり町
熊本市電 路面電車は「環境にやさしい乗り物」と注目される一方で、全国的に乗客の減少がみられる。その中で、熊本市交通局は全国で初めて冷房車や超低床電車を導入、ラッシュ時には2、3分おきに運行するなど工夫を重ね、健闘してきた。
昭和30年代には現在の2路線のほかに、川尻線、広町線、南熊本線、子飼橋線があり、市民に愛された。
熊本市電の開業は大正13年8月1日。早朝5時、第一号電車が新装の大江車庫を走り出した。「次は味噌天神、味噌天神でありまーす。お降りの方はお忘れ物のなきようお仕度くださーい」。若い車掌さんは慣れぬ手つきで切符にハサミを入れた。
以降終日、市電は超満員で、停留所で待っても乗れない電車にゴウをにやした市民は「お急ぎの方はどうぞお歩き下さい」・・・。これが市電開業当初の流行語だった。
開業当時の営業区間は、熊本駅―浄行寺、水道町―水前寺の2路線だった。写真は市街地を通るバスと路面電車=熊本市 撮影日:平成17年09月05日
撮影:2005年9月
市街地を通るバスと路面電車=熊本市
うと地蔵まつり 宇土市の夏を彩る「うと地蔵まつり」は8月23日・24日、宇土市の中心市街地一帯で行われ、「造り物」を見物する家族連れでにぎわう。
地蔵まつりは江戸時代の1646(正保3)年、宇土藩の細川行孝が本町6丁目の円応寺に地蔵尊をまつったのが起源とされ、肥後三大夏祭りの一つに数えられる。
歩行者天国となる本町通りなどには、地区住民や子供会が造り上げた「造りもん」が多数展示され、路地では地元の子どもたちが地蔵に祭壇を作り、鉦(かね)を鳴らして通行人に参拝を呼びかける。=宇土市 撮影日:平成17年08月23日
撮影:2005年8月
うと地蔵まつりの造り物「マンモス」=宇土市
お地蔵さんと子供たち うと地蔵まつり=宇土市
撮影:2005年8月
お地蔵さんと子供たち うと地蔵まつり=宇土市
「水の郷まつり」で乙女神楽を奉納する小中学生=上益城郡嘉島町の浮島周辺水辺公園
撮影:2005年8月
「水の郷まつり」で乙女神楽を奉納する小中学生=上益城郡嘉島町
県内に大雨 増水で地盤がえぐられた大鶴橋のたもとに土のうを積む作業員=阿蘇郡小国町 撮影日:平成17年07月10日
撮影:2005年7月
県内に大雨 増水で地盤がえぐられた大鶴橋のたもとに土のうを積む作業員=小国町
空撮 熊本城天守閣一帯 復元工事=熊本市
撮影:2004年11月
空撮 熊本城天守閣一帯 復元工事=熊本市
町名小史・新町 新町は加藤清正がつくった“新市街”である。清正は都市計画の中で侍町と町人町に分けた。町人町は、飽田国府(二本木町)の商家を移して城の正面(西側)に建設、これを新町と呼んだ。清正の新城下町づくりでできた町には、住民の職業で付けられた町名が多い。後年の細川藩時代の記録によると、新町一帯は新魚屋町、新馬借町、新桶屋町、桧物(ひもの)屋町、塩屋町、新鳥屋町、瓶(つかめ)屋町、上・中・下職人町、新細工町のほか、清正の朝鮮の役ゆかりの蔚山町、高麗門の名がみえる。
昭和40年11月、従来の職業を付した町名は改正され、新町1丁目から4丁目までにかわった。 撮影日:2004/06/22
撮影:2004年6月
一新校区の街並み=熊本市新町
バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市 撮影日:平成16年06月19日
撮影:2004年6月
バラの花を飾った市電 「父の日」=熊本市
林業体験 ほだ場でシイタケを収穫する緑の少年団員ら=人吉市中神町の紅取山 撮影日:平成15年11月29日
撮影:2003年11月
林業体験 ほだ場でシイタケを収穫する緑の少年団員ら=人吉市
大雨で増水する御船川・五庵橋付近=上益城郡御船町 撮影日:昭和40年07月01日
撮影:1965年7月
大雨で増水する御船川・五庵橋付近=上益城郡御船町
大雨 冠水した農道=熊本市の御幸小学校付近 撮影日:昭和39年06月27日
撮影:1964年6月
大雨 冠水した農道=熊本市の御幸小学校付近
昭和39年・「阿蘇青年の家」開所 若人の研修施設として阿蘇山ろく小堀牧に建設された。 熊本50年・昭和史年表より 撮影日:昭和39年05月24日
撮影:1964年5月
昭和39年・「阿蘇青年の家」開所