まもなくスタートします・・・
昭和30年ごろ にぎわう男湯=山鹿市のさくら湯 ※山鹿市の原口了子さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年ごろ にぎわう男湯=山鹿市のさくら湯 ※山鹿市の原口了子さん提
昭和30年ごろ 手を引かれて里路を婚家へ向かう花嫁さん。婚家では親戚や近所の人が出迎え、にぎやかな手料理の宴が2、3日も続いた=玉名郡岱明町(現玉名市) ※玉名郡長洲町の濱田正昭さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年ごろ 花嫁さん。手を引かれて里路を婚家へ=玉名郡岱明町(現玉名
昭和30年ごろ、菊池川・白石堰。和水町と玉名市の間の菊池川にあるかんがい用取水施設。現在の白石堰になったのは昭和39年で、それ以前は石積みの堰だった=玉名郡菊水町 ※玉名市大浜町の永田達三さん提供
撮影:1955年1月
昭和30年ごろ 菊池川・白石堰=玉名郡菊水町
昭和29年夏 夏休み、水前寺陸上競技場近くのヒマワリ畑で従妹たちと=熊本市出水町 ※熊本市谷尾崎町の橋本正勝さん提供
撮影:1954年8月
昭和29年夏 夏休み、ヒマワリ畑で従妹たちと=熊本市出水町 ※熊本市谷尾
昭和29年2月 完成した防火用水の前に並ぶ大道村消防団員、区長ら。新しい自動ポンプが前列に置かれ、左手には消防団の提灯も見える=大道村(現山鹿市) ※山鹿市古閑の野満剛さん提供
撮影:1954年2月
昭和29年2月 消防団員 自動ポンプ納入と防火用水完成記念=大道村
昭和29年 八代駅前の厚生車のりばで客待ちする厚生車。厚生車は戦前・戦中は国策車、戦後は輪タクとも呼ばれた。今で言うタクシーのこと。客席に改造したリヤカーを着けた自転車にはラッパ式の警笛=八代市内 ※八代市西松江城町の小澤年満さん提供
撮影:1954年1月
昭和29年 客待ちの厚生車。戦後は輪タクとも呼ばれた=八代駅前 ※八代
昭和29年 大矢野町上(現上天草市)の自転車店前で。オートバイに乗っているのが写真提供の植田さん。オート三輪は植田さんが免許を取得した昭和26年に父・磯造さんが購入=天草郡大矢野町 ※上天草市大矢野町の植田節義さん提供
撮影:1954年1月
昭和29年 植田さんと家族 自宅前で=天草郡大矢野町
昭和29年 球磨川人吉橋架橋工事=人吉市上青井町 ※人吉市下戸越町の黒肥地改太郎さん提供
撮影:1954年1月
昭和29年 球磨川人吉橋架橋工事=人吉市上青井町 ※人吉市下戸越町の黒肥地改太郎さん提供
6・26熊本大水害 商店街は「水害空白奪回」へ。上通商店街のアーケード工事=熊本市上通町
撮影:1953年9月
6・26熊本大水害 商店街は「水害空白奪回」へ。上通商店街のアーケード工事=熊本市上通町
昭和28年ごろの夏の三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える。港の桟橋から=宇土郡三角町 ※上天草市大矢野町の川上力さん提供
撮影:1953年8月
昭和28年ごろの三角港 山は三角岳、国鉄三角駅の駅舎が見える=宇土郡三角町
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
046・26熊本大水害 商店街の復興。全店水害品売り出し「上通町どろ祭」の横断幕=熊本市上通町
撮影:1953年7月
046・26熊本大水害 商店街の復興。全店水害品売り出し「上通町どろ祭」の横断幕=熊本市上通町
026・26熊本大水害 大雨の後はヨナの雨、傘をさして歩く住民=阿蘇郡宮地町
撮影:1953年7月
026・26熊本大水害 大雨の後はヨナの雨、傘をさして歩く住民=阿蘇郡宮地町
016・26熊本大水害 排土置き場もすでに満杯状態=熊本市の熊本城内薬研堀
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 排土置き場もすでに満杯状態=熊本市の熊本城内薬研堀
066・26熊本大水害 荒尾市の小中学生が被災地の児童に教科書届ける=熊本市手取本町の熊本市教育委員会
撮影:1953年7月
066・26熊本大水害 荒尾市の小中学生が被災地の児童に教科書届ける=熊本市手取本町の熊本市教育委員会