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紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供たちは、神社やお寺の境内に集まる。買った飴や水あめを食べながら、面白おかしく語るおじさんの熱演に見とれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月17日
撮影:1948年4月
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に何回も運んだ。1俵が15キロの木炭を8俵、11俵も積み、当時の人たちの忍耐力に驚く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月07日
撮影:1948年4月
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に
寒ノリ摘み=八代市。寒風の中、海中に立てた「海苔ひび」と呼ばれる竹についた海苔をむしり採る。干潮時を待って急いで摘み取る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月05日
撮影:1948年3月
寒ノリ摘み=八代市。寒風の中で寒ノリ摘み
野良仕事のお昼=八代市。野良仕事の母と子。球磨川の土手で弁当をおいしそうに食べている。貧しいけれどお母さんといる幸せ、子供といる幸せに笑顔が輝いていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月05日
撮影:1948年3月
野良仕事のお昼=八代市。野良仕事の母と子。球磨川の土手で弁当をおいしそう
馬の蹄鉄(ていてつ)打ちをする鍛冶屋さん=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年03月01日
撮影:1948年3月
馬の蹄鉄(ていてつ)打ちをする鍛冶屋さん=八代市 (麦島勝氏撮影)
深田の立岩=深田村。球磨川のほとりにどっしりそびえ立つ「立岩」のそばを傘をさして登校する。父や母が夜なべで和紙の原料「かじ」の皮をむいたものを小学校近くの紙漉屋に届ける。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年02月15日
撮影:1948年2月
深田の立岩=深田村。球磨川のほとりにどっしりそびえ立つ「立岩」のそばを傘
不時着した飛行機=八代市。野上の競馬場に飛行機が不時着した。始めて見る飛行機に見物人は、恐る恐る触ったり、珍しそうに眺めた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年01月01日
撮影:1948年1月
不時着した飛行機=八代市。野上の競馬場に飛行機が不時着した。始めて見る飛
年賀郵便配達=八代市。旧制中学から高等学校に名前が変わった。忙しい年末年始には、アルバイトの郵便配達ががんばった。後ろの立派な家は豪商弓削家(料亭さわ)。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年01月01日
撮影:1948年1月
年賀郵便配達=八代市。旧制中学から高等学校に名前が変わった。忙しい年末年
砂利採り=八代市。船を使って砂利採り (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年01月01日
撮影:1948年1月
砂利採り=八代市。船を使って砂利採り (麦島勝氏撮影)
草泊まり=小国町。冬の牛馬の飼料になる干し草をつくるため、阿蘇の高原に寝泊まりして草刈りをした。子どもたちも学校を休み、かやぶきの家で手伝い、夜は仲良く勉強した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年11月11日
撮影:1947年11月
草泊まり=小国町。冬の牛馬の飼料になる干し草をつくるため、阿蘇の高原に寝
草泊まり=小国町。高原に寝泊りし、草を刈り、冬の牛馬のための干草作り。夜まで子供たちも手伝う。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年11月11日
撮影:1947年11月
草泊まり=小国町。高原に寝泊りし、草を刈り、冬の牛馬のための干草作り。夜
八代海で鯨=八代市。八代の白島沖の定置網に小魚を追ってきた鯨がひっかかり、引き潮で海に帰れなくなった。遠浅の八代海で鯨の姿を見るのは珍しく、体長11メートル強の鯨を車に載せて八代魚市場に運んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年10月05日
撮影:1947年10月
八代海で鯨=八代市。八代の白島沖の定置網に小魚を追ってきた鯨がかかる
球磨川右岸の川沿いにある立岩=深田村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年09月15日
撮影:1947年9月
球磨川右岸の川沿いにある立岩=深田村 (麦島勝氏
牧草運び=南小国町。学校から帰ると牛を引いて、山から飼料の牧草を運ぶ。子どもも重要な働き手である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年03月20日
撮影:1947年3月
牧草運び=南小国町。学校から帰ると牛を引いて、山から飼料の牧草を運ぶ。子
きざみ大根 。傷のある大根や曲がった大根を刻んで干しあげて保管する=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和22年02月10日
撮影:1947年2月
きざみ大根=八代市 。傷のある大根や曲がった大根を刻んで干しあげる