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メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会
メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会があり、育てた愛鳥を持ち寄り、ひのき舞台で鳴き声を競わせた。試合のルールはめじろが連続5声鳴けば勝ち。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月21日

撮影:1951年3月

メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会

メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせた
メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせ、好物の「さや虫」(葦などの茎の中にいる虫)をあたえてやる (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月21日

撮影:1951年3月

メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせた

村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす
村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす。右手で鉄を火の中に入れ、焼けた鉄を相槌人と打ったり曲げたりして製品をつくる (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月06日

撮影:1951年3月

村の鍛冶屋=八代市。左の手でフイゴを引いて炉の中の石炭を燃やす

たきぎ運び=相良村。ご飯や風呂わかしに必要な「薪」。学校から帰った子ども
たきぎ運び=相良村。ご飯や風呂わかしに必要な「薪」。学校から帰った子どもたちが、山や野原で枯れ木を拾い、家まで運んだ。電気釜も湯沸かし器もない時代。幼い弟も手伝った。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年03月02日

撮影:1951年3月

たきぎ運び=相良村。ご飯や風呂わかしに必要な「薪」。学校から帰った子ども

一番列車=人吉市。肥薩線人吉駅から吉松方面に出発したら山田川の鉄橋を渡る
一番列車=人吉市。肥薩線人吉駅から吉松方面に出発したら山田川の鉄橋を渡る。川の下では少女が、長靴をはき冷たい川の中で紙の原料「こうぞ」を踏んでいた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年02月10日

撮影:1951年2月

一番列車=人吉市。肥薩線人吉駅から吉松方面に出発したら山田川の鉄橋を渡る

たきぎ運び=相良村。炊事や風呂に使用する燃料は總て山や野原から拾う「たき
たきぎ運び=相良村。炊事や風呂に使用する燃料は總て山や野原から拾う「たきぎ」だった。子供たちは日頃遊び回る山から集め、兄弟仲良く坂道を上ったり下ったりして運んだ。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年02月02日

撮影:1951年2月

たきぎ運び=相良村。炊事や風呂に使用する燃料は總て山や野原から拾う「たき

正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福
正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福笑いゲーム”を楽しんだ。2組に分かれ次々にタオルで目をふさぎ、紙に画や字を書く。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年01月01日

撮影:1951年1月

正月遊び=八代市。お餅で腹一杯になり、正月の里帰りの「従兄弟たち」と”福

立野の棚田。豊肥線の列車が進む=瀬田村。立野~赤水間の棚田の中のスイッチ
立野の棚田。豊肥線の列車が進む=瀬田村。立野~赤水間の棚田の中のスイッチ・バックを列車が進む (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和26年01月01日

撮影:1951年1月

立野の棚田。豊肥線の列車が進む=瀬田村。立野~赤水間の棚田の中のスイッチ

芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻
芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻し、約10分すると里芋についた泥と皮がきれいになくなっていた。なつかしい農村の風物詩である。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年12月20日

撮影:1950年12月

芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻

大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑
大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑いながら話しかけた。農村ののんびりした原風景だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年12月01日

撮影:1950年12月

大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑

田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる
田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる。鍬を牛に引かせ、土に太陽がくまなくあたる様に深く掘りあげる。牛は重要な家族の一員で大事に飼育された。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年11月30日

撮影:1950年11月

田起こし=八代市。稲刈りや村まつりがすむと、春作の準備や田おこしが始まる

牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛ける
牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛けるときは家族で。先頭は父か兄で数頭の牛や馬の鞍に綱をつなぎ幼い子どもも上手に鞍にまたがり乗りこなしていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年11月01日

撮影:1950年11月

牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛ける

いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ
いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ。鉄線を使用すると木材に傷が残るので、山林の樹木に巻き付いている「葛(かずら)」の茎が使用された。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月25日

撮影:1950年10月

いかだ流し=八代市。球磨-人吉から早朝出発し、筏組みして木材を運んだ

丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束してある
丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束し、石を詰めた蛇籠を橋台にして渡した丸木橋。住民は、滑らないように注意しながら渡った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月25日

撮影:1950年10月

丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束してある

いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた
いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた。当時、洗濯や魚釣りをした所が、今は旭中央通りの道や町になった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月23日

撮影:1950年10月

いかだ流し=八代市。袋町の千弗の川には筏が球磨、人吉、芦北方面から着いた

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  • 2023.01.16
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  • 2018.06.02
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