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大江湖網開き。9月中旬の農閑期になると、海と背中合わせの大江湖では「網びらき」が行われる=鏡町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月17日
撮影:1955年9月
大江湖網開き=鏡町
野良帰り=多良木町。農具と坊やを乗せてリヤカーを引くおばあさん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月15日
撮影:1955年9月
野良帰り=多良木町。農具と坊やを乗せてリヤカーを引くおばあさん。 (麦島
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海。土地の言葉で遊水地を「ダブ」と呼び、年一回「ダブ攻め」という網開きが行われ、大きなボラや鯉、フナなどが捕れる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海
浚渫機=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
浚渫機=八代市
干潟の漁=八代市。潮が引いた干潟の穴にいる「貝」や「しゃく」をとるため、大島付近で潮が満ちてくるまで、どろんこになって漁をした。現在は干拓され工業団地になっている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月05日
撮影:1955年9月
干潟の漁=八代市。潮が引いた干潟の穴にいる「貝」や「しゃく」をとる
阿蘇火山観光3000人の人出でにぎわう=阿蘇町 撮影日:昭和30年09月04日
撮影:1955年9月
掲載日:2012-11-30
【くまもと昭和を歩く】46 阿蘇火山観光の人出でにぎわう=阿蘇町 昭和30年
用・排水路、樋門工事など井戸工事、廃水まで発動機が活躍したので点検、修理も忙しかった=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月03日
撮影:1955年9月
発動機の点検、修理=八代市の金剛干拓
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、現代のラフティングの様である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月20日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なくなった夏休みを楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月18日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なく
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったりと走る「客馬車」に子どもたちは大喜び。盆、正月やお祭りには子どもたちでいっぱいだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月15日
撮影:1955年8月
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったり
天草名物・幌馬車=本渡市 撮影日:昭和30年08月01日
撮影:1955年8月
掲載日:2012-11-07
【くまもと昭和を歩く41】天草名物・幌馬車=本渡市 昭和30年8月
熊本大学、熊本女子大学馬術部員の乗馬して、市中行進=熊本市 撮影日:昭和30年07月29日
撮影:1955年7月
掲載日:2012-09-18
くまもと昭和を歩く38 熊本大学、熊本女子大学馬術部員の乗馬、市中行進=熊本市 昭和30年
牛深の海女たち=牛深市 撮影日:昭和30年07月28日
撮影:1955年7月
掲載日:2012-08-16
くまもと昭和を歩く29 牛深の海女たち=牛深市
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒」を突っ込み泥を捏ねあげる。窪みに入った女たちは腰まで浸かり「ザル」を使い「シャク」を掬いあげた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒
八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの共同作業だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの