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頭地停留所の手前にある手清水=五木村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月08日
撮影:1965年9月
頭地停留所の手前にある手清水=五木村 (麦島勝氏撮影)
大鋸で作業=松島町。板の厚みで長さが1m位になると「矢」と呼ばれる「楔(くさび)」を打ち、大鋸の摩擦を防ぎ切れやすい様に苦心して割いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月07日
撮影:1965年9月
大鋸で作業=松島町
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車が通った。その間、いそがしい通行人もがまんしながら待ってくれた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月02日
撮影:1965年9月
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっているので「手斧」で削る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月07日
撮影:1965年8月
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっている
ボート遊び。球磨川発船場の対岸、水の手橋近くに手こぎボートが係留され、若いカップルが楽しげにオールを漕いでいた=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月05日
撮影:1965年8月
ボート遊び=人吉市留
洪水時の旧萩原橋=八代市。梅雨前線が停滞し、球磨川全域で豪雨が降った。旧萩原橋近くの堰堤が決壊、豊国旅館が流出し交通が混乱した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年07月03日
撮影:1965年7月
洪水時の旧萩原橋=八代市。梅雨前線が停滞し、球磨川全域で豪雨が降った
昭和空撮48 琴平本町一帯=熊本市。住宅街に自動車学校 撮影日:昭和40年05月18日
撮影:1965年5月
掲載日:2011-07-29
昭和空撮48 琴平本町一帯=熊本市 昭和40年
昭和空撮 宇土市役所一帯 撮影日:昭和40年05月08日
撮影:1965年5月
掲載日:2012-01-26
昭和空撮80 宇土市役所一帯 昭和40年
球磨川水源=水上村。水源地(別写真・同日撮影分)から150メートルほど下ると、ここにも「球磨川水源」の表示がある (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月03日
撮影:1965年5月
球磨川水源=水上村
球磨川水源=水上村。九州山地の中央部、標高約1200メートルの急峻な山の斜面から吹き出している。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月03日
撮影:1965年5月
球磨川水源=水上村。九州山地の中央部、標高約1200メートルの急峻な山の
八代内港。客船の発着場が蛇篭港だった頃、戦時中の造船所跡地に工事用の船や貨物運搬船で「船だまり」ができるほどだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月01日
撮影:1965年5月
八代内港
放牧=一宮町の豆札牧場。国道57号を一の宮町から坂梨の峠を過ぎ、左へ行くと、豆札牧場がある。牛馬の熊本県畜産牧場があり、100頭以上が広い斜面で自由に行動していた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月01日
撮影:1965年5月
放牧=一宮町の豆札牧場。国道57号を一の宮町から坂梨の峠を過ぎ、左へ行く
船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右から左へ順番に投げ網を打ち魚を捕り、舟上で調理し楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年04月08日
撮影:1965年4月
船出浮きの投げ網=八代市。松井の殿様の舟遊びで十数隻の舟で円陣を組み右か
昭和空撮 御船眼鑑(めがね)橋一帯=御船町 撮影日:昭和40年04月01日
撮影:1965年4月
掲載日:2012-01-24
昭和空撮79 御船眼鑑(めがね)橋一帯=御船町 昭和40年
稚鮎すくい=八代市。春になると海から鮎の稚魚の群れが、川に帰り上流へ遡上(そじょう)する。それを堰が阻むので、球磨川の遙拝瀬で漁協員が網ですくい、上流に運んで放流した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年03月21日
撮影:1965年3月
稚鮎すくい=八代市。春になると海から鮎の稚魚の群れが、川に帰り上流へ遡上